昨日のブログにも少し書いたけれど。
娘の大学時代の友達が亡くなった。
詳しいことは聞いていないが、どうやら自ら最悪の選択をしてしまったようだ。
1年の時からの仲良しグループで同じゼミを取り、
共に大学の4年間を過ごした掛け替えのない仲間。
いつからなのだろうか。
彼はうつ状態だったらしい。
それでも、卒論を書きあげ、一緒に卒業をしている。
娘たちは、震災の影響で卒業式は取りやめになったものの、
仲間みんなで日を合わせて卒業証書をもらいに行った。
その時が、最後に顔を合わせた時になってしまった。
それでも、mixiなどでの繋がりはあり、
お互いにコメントのやり取りをしていたのだという。
mixiの日記でうつ状態っぽいことが書いてあったりしたそうだが、
しばらくすると浮上するという繰り返し。
先月、アルバイトを辞めてしまい、
「引きこもりになってます」
と、それでも明るい書き方をしていたそうだ。
「またちょっと、うつっぽいこと書いてるな」
と思ったものの、そのままコメントを出さずにいた。
そんな中、突然舞い込んだ訃報。
心理学を専攻していたのに、何もしてあげられなかった。
気付いてあげられなかった。
自分たちは何を学んできたのか。
と、号泣する。
自分を責める。
もう1年半くらい前になるだろうか。
実家の母の友達も自殺をしている。
やはり何年もうつ状態から抜け出せずにいたそうだ。
調子が悪くなっている時期だと、
「死にたい」
と、何度も繰り返し言うのだと。
そのたびに、なだめ、励ましていた。
入退院を繰り返し、退院後、
「会いたい」
と、電話があったのだが、用事があって日が合わなくて、
先延ばしになっていた。
そこへ舞い込んだ訃報。
母もしきりに後悔していた。
あの時、無理やりにでも時間を作って会っていれば。
話を聞いてあげていれば。
こんなことにはならなかったかもしれない。
と。
自分を責める。
そういう自分も数年前までうつだったのだから、
感情が引きずられている母がとても心配だった。
「それはタイミングだから、自分を責める必要はないんだよ」
確かに、その時に話を聞いていれば、コメントででも会話していれば、
少しは状況が変わったのかもしれない。
が、変わらなかったかもしれない。
それは誰にも分からないこと。
そして、自ら終止符を打とうと考えているキミ。
その選択をする前に一つ考えて欲しい。
自分がいなくなった後に残される人たちのことを。
キミを産み育てた親のこと。
友達のこと。
何もしてあげられなかったと、自分を責め悔み涙する人たちのことを。
自分の存在は、キミにとって何だったのかと苦しむ人たちのことを。
顔を合わせる実生活だけではない。
こうやってブログやmixiでの繋がりのある人だっている。
コメントをくれる人もいるでしょう。
コメントはくれないけど、
「大丈夫かな?」って心配して様子を見に来ている人だっている。
終止符を打とうと考えてしまうほど、苦しいんだよね。
自分の持って行き場がないくらい、辛いんだよね。
どうしていいか分からなくなって、ぐちゃぐちゃなんだよね。
気持ちが浮上するってどういうことだったのか分からなくなってるんだよね。
もう、いっそのこと・・・って思い詰めているんだよね。
でも、終止符を打つ前に思い出して。
キミのことを大切に思っている、心配をしている人がいることを。
キミが出してくれているサイン。
タイミングが悪いと気が付くことができないかもしれない。
だから、何度でも、何度も、繰り返しサインを出してほしい。
終止符を打つのは、「今」じゃなくていい。
キミを必要だと思っている人がいるってこと、忘れないで。
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