2021年2月16日(火)

 

緊急事態宣言が1ヶ月伸びた今日この頃。解除まであともう少しです。

 

それまでにやっておきたいことをいくつか消化しておきます。

 

①フロントブレーキマスターシリンダキャップ交換

②ブレーキレバーロックデバイス(簡易盗難防止装置)

③メーター保護フィルム取付け

④サドルバッグオーガナイザー装着

⑤まさかの出来事が、、、。

 

 

始めに、今回は①について。

 

以前に「リヤブレーキマスターシリンダキャップ」を交換したことがありますが、同じ種類の

フロントマスターシリンダ用があったので交換することに。

 

↓ まずはこちら見てください。このキャップを交換します。

 

 

Amazonで購入し、約3週間ほどして届いたのがこちら。

 ???明らかに違う商品届きました。

 「ZX-6R」と書いてあり、マスターシリンダキャップでもありません。

 どうやらIGNキーを挟んで取り付けるキーホルダーのようです。

↑ Amazonに連絡。揉めるのも嫌だし、面倒だったが、チャット相談機能を使ってみた。

   私 ⇒ Amazon ⇒ ストア ⇒ Amazon ⇒ 私 ⇒ Amazon ⇒ ストア ⇒ Amazon ⇒ 私と

  連絡を取り、間違えて送られてきた商品の写真を送るなどして「返金対応」ではなく

  「再度正規商品の発送」を希望。

  結局、ストアの商品送付間違えであったため再度正規商品を送ってくれることに。

  また、このZX-6R用の部品は返送ではなく頂ける(プレゼント)そうです。

  

 

↓ 連絡してから約1か月後、無事お目当ての商品が到着しました。

  Amazonの親切な対応に感謝。

↑ ロゴの部分は分離しているため、他のカラーも選べます。

  リヤキャップ同様にシンプルなブラックをチョイス。

 

 

↓ 海外製ですが、作りはしっかりとしており取り付けに問題はありません。

  

 

 

↓ 交換後。シンプルなロゴがさり気なさを演出しています。

 

 

キャップを交換するだけなので作業はアッと言う間で簡単に終了。

最初の注文から商品が手元に届くまで2か月弱掛かりましたが、、、。

 

次回②へ続く ⇒ ⇒ ⇒

 

 

 

《今日の一言》

 

「コロナに翻弄される私たちの生活とオリンピック」

 

◆解説◆

緊急事態宣言が延長され、3月7日(日)までとなりました。
コロナウィルスの猛威はニュースで毎日出てくる話題。毎日話題に出てくるので逆に慣れて
来てしまったのではないかと思えるほどで、以前より良くない状況であっても驚かなくなって
しまったようです。私だけではなく、他の方もそう感じている人は多いと思います。
 
緊急事態宣言の延長、感染者数、重傷者数、死者数、病院の受け入れ問題、ワクチン接種、
失業者、休業問題、給付金問題、感染予防問題、新しい生活様式の問題、自粛警察問題、
営業自粛要請問題、、、、、、、、、、、、、、、、。
 
それに人が発することばの真意と反応に対するオリンピックの意義や存在価値。
色々な問題に課題、希望に願い、思いと乖離、理想と現実、同調と反発
 
混沌とする世の中、五体満足で無事に仕事ができて給料がもらえてブログで適当なことを
書けるだけでも十分過ぎるほど幸せなのかも知れません。

 

元々オリンピックにはそれほど興味はありませんし、チケットを買おうと思ったこともないので、

正直私には開催されるかどうかは重要ではありません。

ただ、通常通り行われない(行うことができない)オリンピックにどこまでの意義が見出せるの

でしょうか。

しかしながら既に1年延期してますし、既に使われた招致費用やハード面のコストを無駄に

することもできません。

 

開催を天秤に掛け、傾きを平行にするのか、どちらかに傾けるのか。

その天秤をだれが操作するのか。人なのかコロナなのか。

その傾きは緩やかなのか急なのか。一定に定まらず揺れ続けるのか。

 

その結果により私たちの生活も同様に傾く(振り回される)ことになります。

 

どのような結果であれ、「あの時は大変だったけど良かった」と言える日が早めに来ることを

願うばかりです。

 

※お断り

 上記内容は個人的な感想であり、コロナ禍における特定の誰か(何か)を誹謗中傷や揶揄

 している訳ではありません。

 同様にオリンピックに関しましても開催の是非や意義に関して異論を呈している訳ではあり

 ません。

 ブログでしか物申せない小心者の戯言として適当に流して頂ければ幸いです。 

 

 一刻も早くコロナ禍が終息し、自由を感じられるあの頃に戻ることを願いつつ、オリンピックが

無事開催され、「今年は良い1年だった」と言えるようになることを願って(祈って)おります。