10日に脳梗塞(こうそく)で亡くなったお笑いコンビ「コント55号」の坂上二郎さん(享年76)の葬儀・告別式が13日、栃木・那須塩原市内の斎場で営まれ、相方の萩本欽一(69)が参列した。東日本大震災の影響による交通マヒで12日の通夜には間に合わなかったが、この日はJRとタクシーを乗り継ぎ式場に到着。最愛の相棒との別れに、「坂上二郎さん、ただいま飛びます、飛びました」と声をかけた。


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坂上二郎さんの遺影を持つ萩本欽一。「二郎さんの足元にも及ばなかった」と唇をかんだ=栃木・那須塩原市


出棺時。50代の若々しい笑顔の二郎さんの遺影を持った欽ちゃんが、二郎さんの代名詞のギャグで送り出した。


葬儀・告別式は、二郎さんの「家族だけで」との遺言に従い、夫人の瑤子(ようこ)さん(75)ら近親者約10人の密葬で正午から営まれた。


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1966年のコンビ結成以来、長年連れ添った欽ちゃんは、12日の通夜に参列を希望したが、11日の東日本大震災の影響で現地入りできず。13日も東北新幹線は終日運休するなど交通網は完全に回復していなかったが、最後の別れをしたい一心で、午前7時58分の上野駅発のJR宇都宮線快速に乗り、同9時半ごろ、宇都宮に到着。タクシーで同11時過ぎに斎場にかけつけた。


昨年12月、病院を見舞ってから3カ月。ようやくかなった対面に「時間がかかった分だけ二郎さんに会うのは待ち遠しかった」ともらした。


祭壇は原色が好きな二郎さんのため、黄色の花で彩られ、棺には74年の自身の大ヒット曲「学校の先生」の楽譜が納められた。


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「また明日会おうね」。遺影に語りかけた欽ちゃんだが、「僕の中では亡くなってないから」と死に顔は見ず、「二郎さんの足元にも及ばなかったよっていうことで足元に花を入れたんだ」と努めて笑みを浮かべた。


今後はお別れ会を自分の司会で行う意向も明かし、「二郎さんのステキな話は十分出てるから、ひどい目にあった話や、ウソを教わった話を言い合いたい」となつかしそうな表情を浮かべ、「坂上二郎の笑いは生きてますから。みなさんに二郎さんを濃く記憶してもらう会にしたい」と誓った。戒名は慈照院和道法郎居士(じしょういんわどうほうろうこじ)。


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