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あけまして
おめでとうございます
母の要望で帰省せず
長年住んでいる大阪で
むかえる2回目のお正月。
お昼過ぎに氏神さまへ初詣に行くと、
なんとも気持ちのいい
光が降り注いでいました。
お参りにを終えて
ふと振り返ると
社殿の上で
笑っているような雲(^ ^)❣️
思わずにっこりしてしまいました。
笑い顔って伝染するね。
これは氏神様のメッセージかな?
どんどん伝染させて
人も社会も元気になぁれ〜💕
今年も宜しくお願い致します。
わたしの幼少期にはサンタさんは来ませんでした。
親に聞くと「ウチは浄土宗やで、キリスト教と違うんやで」と言う答えでした。
それでもイベントとして楽しんでしまうお祭り好きな国民性は、クリスマス商法に乗せられて我が家でも、祖母がアイスのクリスマスケーキを毎年買ってくれたり、今では滅多にお目にかかれないバタークリームのクリスマスケーキもあった記憶があります。
子供の頃はサンタさんが来たと、はしゃいでいる子を覚めた目で見ていましたが、内心無邪気な子たちが羨ましかった記憶があります。
わたしが通っていた保育園でも
クリスマス会がありサンタさんがきたのです。
一瞬ときめいたのですが、
よく見るとそのサンタさんは近所の三宅のおっちゃんと呼んでいた人で、凄くがっかりしたのを覚えてます。
4歳の覚めた目で、
取り敢えず三宅のおっちゃんから手渡されたお菓子を先生に言われた通り「ありがとう」と受け取ったのを覚えています。
親になった時、浄土宗だけど
自分の子どもたちにはサンタさんにきて貰う事にしました。
子供たちの笑顔、清らかなこころに触れさせて貰いほんとうに癒されました。
幼稚園児にもなると
「言うこと聞かない子にはサンタさんこないよ!」とか、
「良い子にしていないとブラックサンタがくるよ!」などと、
忙しさのあまり躾と称して言っていたのを思い出します。これがまた、効き目があったのです。
言うことを聞かない子には、有ろうことかブラックサンタが来て今あるおもちゃも取って行ってしまうのですから、幼い子には恐怖だったと思います。
子供がいうには
「言うこと聞かなすぎて本当にブラックサンタが来てゲームを持って行ってしまったのを覚えている!」そうです。
そう言えば、それ以降、ブラックサンタがくるよ!と言うと、泣きながらお片付けしていたのを思い出しました。
思い返せば、
結局、躾にはなって無かったようです💦
親や先生の言うことを聞かない子はダメな子でサンタどころかブラックサンタが来るという恐怖と不安でトドメを刺して従わせ、従ったら良い子ねと褒める。
親や先生の言う事を聞くのが
良い子❣️と言う洗脳を何気にしてしまっていたことに反省しきりです。
今回、改めて既に成人した子供たちにあやまりました。これを繰り返さないように願いを込めて。
子供は本能でどんな親でも大好きで嫌われたくないと言うのがありますね。
親や先生の言う良い子で有ろうと自分を殺して、健気にお母さんや先生の笑顔を得ようとする。
また言いつけに反した子がいたら言いつける。
マスク警察も同じじゃないかと感じます。自分で考えず調べず、テレビの情報に従う事に心地よささえ感じる。自分は正義だと思っている。
良い子でいる様に教育(洗脳)された結果かもしれませんね。
よその子でもつい言う事を聞いている子供には、賢いね!良い子ね!などと声をかけたり、かけられたり。
その一言がどう言う意味をもつのかなど考えもせずにです。
片付ける事の意味やその後のスッキリ感を共感し、繰り返し教えて無かったと思います。
お手伝いをしてくれたら、本気で助かったよ、ありがとうと感謝していただろうか?
最後にはお利口さんとほめていたように思います。お利口でないと喜ばれないと言うコアビリーフを植え込んでしまったようです。
躾とはかけ離れてますね。
忙しくて余裕がなく、わたしが未熟だから怒ったり、無意識ですが、恐怖で従わせていたように思います。親の在り方、周りの大人の在り方が大切ですね。
反抗期になって自分に目覚めた時、大人の都合でコントロールされていたことに気づき、自己肯定の出来る子はいいのですが、
反抗期のない子もいたりします。
そのまま大人になると怖いですね。
みんなと同調しているのが気持ちよく、群れから反すれば不安になる。自分の本心や真実の追求など考えるべきでないとさえ思ってしまう。
うちの場合は、しっかり反抗期があったので良かったと今になって思います😃💦
わたし達大人の在り方ひとつで、
自由を奪い、子供の成長の芽を詰んでしまうこともあることを念頭におくべきでしょう。
自分軸で生きることができれば、
他人を認めることもできる。
それが、より良い優しい自由な社会をつくる第一歩になると確信します。
ワンちゃんの散歩のお陰で
季節の移ろいを日々感じる事ができる時間を頂いてます。
最近では、どんぐりや銀杏が実り、たくさん落ちています。
朝夕の風は爽やかで心地良い。
欅の葉は茶色くなって地面を覆い出しました。
まだまだ銀杏や桜の葉はまだまだ緑です。
これからが木々の葉の移ろいが楽しみになってきますね。
不思議な事に、
ほとんどの方が誰とも密にならない屋外で
マスクをしっかりつけておられます。
どうしてでしょう?
わたしも、たまに仕事やマスク着用のお店から出た後も
そのまま付けている時があります。
息苦しさでマスクしている事に気がつくことがあります。
慣れは恐ろしいもので感覚を麻痺させます。
きっと、マスクに慣れて
違和感が無くなっている方も多いのかと思います。
良い呼吸は、免疫力を上げてくれます。逆もまた然りです。
身体のセンサーに従って行動する事は
自分自身を守り、大切に生きることに繋がりますね。
爽やかな秋、自然の中では
爽やかな空気を楽しみたいものです。
ご先祖さまから
受け継いだ DNAを大切にしたいと日々感じるこの頃です。
皆さま
いかがお過ごしでしょうか?
自然がどんどん少なくなってくる大阪ですが、秋の虫達が草むらや植木の辺りから羽をふるわせ歌っています。
いのちの営みに愛おしさを感じますね。
もう10年以上前のお話になりますが、ハワイ島のコーヒー農園を訪れた時の事、葉っぱに真っ白になるくらい薬がかかっていました。
その理由は、なんと!
蛙の声がうるさすぎるからだそうです。
しかし、その声って、
カジカ蛙🐸のような美しい音色だったのです!
とても幻想的でした。虫の音が美しいと感じるのは当たり前だとおもっていたのですが、感じない方々だったんです。
よほど余裕の無い人達なんだと思っていたらそうでは無くて遺伝子の問題だったんです。
あの人達は工事現場のような騒音にしか聞こえないそうなんです。一晩中では、たまらんわけですね。
虫の音は、わたし達日本人とポリネシアの一部の人しか分から無いそうです。
しかも生まれて3歳までの間に日本語やポリネシア語などの母音の言語のなかで育たないとその感覚は獲得出来ないそうです。
わたしたちは受け継いできた遺伝子を大切に後世に残し、守っていく責任があると思いました。