もう10ヵ月以上コロナ禍の中にあって、
それでも幸いにも感染していない人が大多数ではあると思うが、
あちこちでクラスターが発生し、すぐ身近で、すぐ近所で、起きている危機であって、
いつ罹ってもおかしくない状況となっている。
12月10日現況として、都市部を中心に地方でも感染が過去最大に拡大しており、
自衛隊への災害派遣など、医療崩壊が始まっている、とされている。
そこで、やり玉に挙がっているのが、
「Gotoを止める」、「Gotoいったん止める」という方策、やそれを云う論者。
Gotoやっているから感染するのか。Gotoをやめたら感染が止まるのか。
私見としては、Gotoをやめても感染は止まらないと思う。
やめても止まらないなら、止めるという選択は間違いと考える。
「正しくおそれる」
人は恐怖を感じると、怖気づき冷静でいられなくなるのはわかる。
何かの責任にしたくなる気持ちはわかる。
しかし「この正しくおそれる」という原点に今一度立ち返る必要がある。
Gotoをとめる。=息をとめる。ということ。極端に云うとですが、
息を止めたら、感染は拡がりませんが、死んでしまいます。
息をいったんとめる、としても、いったいどれだけ止めるんですか。
長くても2分くらい息は止められるかな。それ以上は苦しいです。
Gotoは経済を回す象徴的な施策なわけですから、
やはりこれを止めてはいけないことは1波2波ですでに学んでいること。
①Gotoで札幌に行く。=○
②Gotoで札幌に行ってススキノを歩く・買い物をする。=○
③Gotoで札幌に行ってススキノで夜ラーメンを食べる。=△寄りの○
④Gotoで札幌に行ってススキノの居酒屋で飲む。=△寄りの×
⑤Gotoで札幌に行ってススキノの夜の町@3密で飲む。=×××
正しくおそれている人は、③でとどまれるわけです。
よく医療関係者が大変な時期に、Gotoは不謹慎だと不謹慎厨が湧いてきます。
いやそうではなくて、福島原発の時も、
福島への旅行は不謹慎だという風評があって、福島経済が落ち込んだ。
医療ボランティアが各自できればそれに越したことはないが、そうでなければ、
我々凡人ができることは、「正しくおそれた上で」
どんどんお金を使って経済を回こと、税収を上げること。
それが巡り巡って、医療従事者への下支えになるのではないだろうか。
もしGotoをいったんでも止めたら、自粛警察がまた登場するだろう。
Gotoが矢面に立ってないと、他県ナンバーに石を投げる人がまた現れるだろう。
Gotoであれ、普通の生活であれ、感染のリスクは同じ。
ようは神奈川県知事も言ってましたが、すべては「飛沫」です。
「飛沫」を受けなければ、もしくは出さなければ、ほぼ大丈夫と思います。
極端な話、完全な防護服を着て、ススキノの夜の町に行けば、まず罹りません。
防護服は日常的に着られませんから、マスクだったり、身体的距離を保つ、
これに尽きる、それはまさに基本中の基本なのですが、
感覚的にですが、感染した人のほとんどは不用意な人だと思います。
残りは不幸にも近くにそういう人がいた人。
不用意とはパーソナルスペースが分かってなく人に近づいてしまっている人、
不用意にしゃべりかける人。不用意だから三密にいる自覚がない。
困った事に不用意な人は無自覚で悪気はない。
そして一定数いるからいろいろ一旦停止せざる得なくなる。
めちゃくちゃ用心深い人ばかりなら、飛沫を受けなければ、拡がりようがない。
一定数いる不用意な人によってその他多くの人が巻き添えになってる今の構図。
Withコロナの時代にワクチンの恒常化はまだ先な訳ですから、
医療のトリアージが起きてくることも当然覚悟しなければならない。
<用心深さ度チェック>
□ 日々自分の行動を記録している。
□ 行列や人が密集しているところには絶対に近づかない。
□ 3密空間には絶対に行かない、近づかない。
□ 友人とは基本zoom呑み。
□ 実際会う場合も3人以上は断る。自分から誘わない。
□ マスク会食で100均のアクリルボードも持参している。
□ 必要な会食でも3密じゃない大箱店舗を選び滞在は1時間以内。
□ パーソナルスペースが近い人に「少し離れて」と注意できる。
□ 不用意にべらべらしゃべりかける人に「シーっ」と注意できる。
□ あちこち触らない、もしくは手袋をしている。
□ 電車等で喋っている人がいたらすみやかに離れている。
□ 自家用車を利用し、公共交通機関をなるべく使わない。
チェックが3個以内ですと、不用意認定です。防護服を着て出掛けましょう。
そうでなければ、コロナに罹る覚悟が必要でしょう。
(写真と本文は直接関係ありません)