この先ずっと永く一緒に生きていこうって思ってた大切な友人が逝った。
若くして進行性のガンに侵されて、告知2ヶ月目での急逝だった。
バカなことばかりしている奴だったけど自分の写し鏡みたいで怒れなかった。
いつからかもう友人というよりも、半分自分のような存在になっていた。
奴が死んでから、ぽっかり穴が空いたような空虚な日々が続いた。
もうこの先、楽しいことも辛いことも共有できる奴がいないって思うと、
悲しさと虚しさにおそわれた。本当に自分が半分死んでしまったようだった。
あれから4年。
朝歯を磨いて顔を洗っていると気配を感じて泣いてしまう現象は無くなった。
悲しさを選択するのも、笑顔を選択するのも、大いなる自由である。
どうせ生きて、半分生かされているなら、奴の分まで笑顔で過ごしてやろうって。
嘆こうが、笑おうが、喚こうが、何しようが、その権利は自分自身にある。
悲しみにひれ伏し屈する日々はもうない。年一墓前で半分の自分と酒を酌み交わす。
熱い夏がやってくるとあの日を思い出す。(写真と本文は関係ありません)