後悔や罪悪感、自責の念が強くて
決められない方へ。
結果がどうなるか
わからない選択は、、、
「どちらか」を正解でなく
⇒『どちらも』正解!
に
ムリやりにでもしていく( ̄▽ ̄)
すると、開運習慣へ。
「どちらか」を正解にすると、
どちらをを選んでも
【アトゼメ】をする
不運習慣や
罪悪感型になりがち( ̄▽ ̄)
(「やっぱりアッチがよかったのかな、、、」
いやいやそんな。 あ、でも、、、)
本来、選択に正解はナイ。
(↑ 選択からの結果に
「痛みを伴ったか?そうではないか?」
「思った通りか?そうではないか?」はアルが
だからといって正解かはワカラナイ。)
個人個人の中で
正解だと「思う」かどうか?という
『意見・信念の決定』があるだけ。
・正解、、、「というコトにしておく」
・不正解、、、「というコトにしておく」
が、
個人個人の中で
『正解/不正解、、、ということにナッテイル』
と、ソレゾレ”勝手に位置付けられている”。
なので、
他者からの
「ホントにそれで正解だったのーーー?」
「他のを選んだ方が正解だった(よかった)ん
じゃない!!」
、、、への反応(リアクション)は
そんなの
『知りまへんガナ(  ̄▽ ̄)』
『わかりまへんガナ ( ̄▽ ̄)』
『ナンとも言えまへんガナ ( ̄▽ ̄)」
※ = ナンとでも言えますがな、、、
でよい(笑)
(相手がどう思うかは、相手が決めるダケ。
『あなたがどう思うかは、あなたが決める。』)
であれば、
あなたが
何かを選択する際には、
【 選ぶ前は『どれも正解』
だとしたらどれを選ぶ? 】
で、選んでイク。
そして
選んだアトは
⇒【(結果はどうあれ) 選んだ方を必ず正解!】
、、、というコトにしていく。
↑アトカラ誰に
ナニを言われようとも!
の【決断】をしていく^^
「選ぶ前」というのは
結果がどうなるかわからないモノ。
そんな中でいつも
『選択せざるをえない』のが常なるコト。
そして、
わからない中で選択するのは
いつだって【勇氣の要る】コト。
この”勇氣にコソ 敬意と尊重の意”を
「自分から、自分に示す。」
もし
「結果のわかっている、今の自分」が
『結果を知らない、過去の自分』を
イチイチ責める( ̄▽ ̄)
を繰り返していたとしたら
確実に【自己不和(自分と自分が不仲)】になる。
⇒ ある意味、絶対勝てない
あと出しジャンケン💧(イジメの状態?)
※当然、過去の自分は
責められてコテンパンになる。。。
すると、コレカラ選ぶコトにも
確実に「未来の自分から」白羽の矢( ̄▽ ̄)が
たつのがわかっているので💧
何も決められなくなるか
何であれ選択するのがコワくなる(怯える)。
※そこにさらに他者からの
フィードバック責めも便乗させてしまい。
事態はヤヤコシくなる。。。(⌒-⌒; )
--
【(結果はどうあれ)
選んだ方を必ずヨシ!】
、、、というコトにしていく。
この習慣を
身につけると
『これまで選んでキタものも皆ヨシする
(結果はどうアレ、まぁ仕方ないっすよね〜)』
の、決断もできるようになるので、
アトゼメ スパイラルは終わり
やがて「自己不和」が終わる。
すると周囲を使って
わざわざ『他者不和』を起こす習慣も
消えていく✨
(他者不和を起こすのは、自己不和から。)
上記、「選択」にまつわる
自罰他罰の世界から
『自分を解放』する法のヒトツ。
◆STOP! THE アトゼメ〜( ̄▽ ̄)✨
↑ もし、周りに
アトゼメ体質の人が多くても
(あなたに、あーだ、こーだ
言う人が多くても)
「あなたヒトリだけ」は
あなたのコトをアトゼメしない!
それだけ十分!!
(味方になってあげる☆)
※ 自分の選択を
肯定まではできないにしても、
ひとつひとつ(結果はどうあれ)
“敬意をもって尊重”していく。
ここまで読んでみて
「あーーー!
いいカモ!そうカモ!」
、、、という方は
まずは、積極的に
【自分と仲直り♪】を。
手はじめに、、、
「コレマデ 本当にごめんね〜
ずるーい アトゼメばかりしてきてm(_ _)m💧」
と、あなた自身に
心からの「ワビ」を一発
入れておきましょ〜(笑)