の続きとなります。
歩けるようになり、産科の先生との診察が待っていました。
というのも、私の心臓が体外受精可能なのかを判断してもらう為。
そして、ズタボロになって病室に戻る事となる話になります。
呼ばれたので産科に向かいました。
その時問診票を書いて、私は泣いてしまっても良いから詳しく知りたい。と言う欄にチェックをしました。(詳しい話はせず簡潔に。と傷つきたくないから説明不要。と言うのもあったかな、確か。)
そして、現在の状況を言われましたが、散々な物でした。
右心房の肥大が帯広の循環器の担当医からあった可能性がある。と言われていて、その事を踏まえ検査したら右心房が今はとてつもなく頑張ってくれてて、休めない状態の社畜状態。
弁の交換をしないと現状このままか、悪化する。
妊娠した場合2つの壁があり、1つは22~23w位の頃に私は必ず心不全になってしまう。
それを乗り越えられたとしても、37w前後に、1回目の壁なんて比べ物にならないくらい大事になる可能性が高く、ICUに入る事で済めばまだ良いが、最悪人工心臓などになる事もある。
母体の血液量が妊娠をする事で増えて、でもその水分は赤ちゃんの為にも減らせないものだから、現状私が妊娠をしたら危険に晒されるし、このままの状態で例え妊娠できたとしても(着床することは確認できてる為)維持が出来ない。
宿した赤ちゃんを24wまで持たせて産んだとしても、赤ちゃんに重篤な障害が残る可能性も考える。
中絶が出来なくなってからでは、本当に危険で、私の今後これからの妊娠は認められない。
と言われてしまいました。
その時。。。泣くのを堪えてたけど無理で、でも振り絞って聞いたのは
一生ですか?一生妊娠をして生むことはできませんか?
と聞いたところ、無理です。と宣告されてしまいました。
言葉になってなかったと思います。分かりましたと伝えたけど声出なかった。
心の中で。。。そっか。。そっか。。。そっかぁ。。無理かぁ。。
そう思いながら診察室の扉を締めた瞬間。。
わぁぁぁぁ。。。と年甲斐にもなく声を上げて大泣きしたのは覚えてます。
泣き崩れました。
もう。。主人に家族。。血の繋がった家族作ってあげれないんだ。。。
そう思った瞬間でした。
わんわん泣いて、けれど憎いことに呼吸が苦しくなるから大泣きも続けられない。
聞いたのはお昼すぎで、抗生剤の点滴がお昼にあるのを思い出し、お昼も30分すぎに帰ります。。と泣きながら。。
何ならエグエグ泣いてポロポロ涙流しながら帰って、旦那に子供迎えてあげれない事をラインして離婚しようと伝えて。。
なんでなんでなんで。。とグルグル頭の中で自問自答して。
病棟に戻って部屋で点滴まとうとしたけど、涙止めれない。。どうしよう(斜め隣の患者さんがオペの日だった)と目を真っ赤にしながらナースステーションに行き、
はなしきいてくださいぃぃぃ
とフラフラしながら聞いてもらった。
このとき、産科の外来から病棟の看護師さんに私の状態が伝わっており、ケアしてあげて欲しい有無を伝えてたそうです(苦笑)
辛かった。
愛する夫との子供を抱く事が。夫に家族を作ってあげる事が。。本当に本当に私の夢だったから。
体外受精の経験がある方はご理解頂けると思うのですが、本当にこの3年体外受精を頑張ってきてて、検査薬を2本線見た時のあの感情。。
流産した時の悲しみ。鼓動が動くのを見れた瞬間の感激。
今もコレを綴っていると涙出るけど、本当に投薬の辛さとか、通院する事とか、頑張ってきたから。
何よりも、帯広の循環器の担当医に不安な事を伝えてたのに、それを『気のせい』や、『●●さんは(私の事)心配症だから!』で終わらせて真剣に診てくれなかった。。
あの時、ちゃんと患者の言葉を気にかけて考えてくれてたら。。何か策を施してくれてたら。。少しでも早く、心臓の件で妊娠は望めないと分かってたら・・・・そう考えれば考えるほど、色々な感情が押し寄せてきて、今も正直言葉にならない。
そして、主人は健康だから、私こんなだから、子供抱かせて挙げれないから、離婚を伝えた。
離婚しようって。。
伝えたのに、私が居ればそれで良いと言ってくれた。
それが尚更重苦しくて、悲しくなった。
そして、非人道的だと、言われてもある事を思い出した。
長くなりそうなので続きは次に綴ります