僕の野球人生 木下璃来
僕は大学で野球をやるつもりはない。高校で辞めるつもりだ。そして人生で最後の野球の大会の初戦がもう4日後に迫っている。僕が野球を始めてからの7年半、本当に多くのことがあった。
野球人生≒怪我人生。そう言っても過言ではないくらい怪我をした。中学生で手の疲労骨折、腰椎分離症。高校に入ってからも捻挫、肉離れ、捻挫、捻挫、剥離骨折、捻挫、捻挫。隠していた痛みとかも片手じゃあ数えきれない。何でこんなに怪我ばっかりするんだろう。1箇所治ったらまた新しいところが来る。なんでだろう。まあ一旦怪我の話は置いておいて野球の話をしようと思う。
小学四年生の終わり頃、野球を始めた。
弟と一緒に小学校で練習していた野球チームの体験に行ったのがきっかけだったと思う。その時野球をやるつもりなんて全くなく、気づいたら始めていた。小中であまり印象的な出来事はなかった気がする。強いていうなら初登板で2回で14失点したことくらい笑。ピッチャーってむずかしい。
中学校では軟式のクラブチームと部活の両立ができる制度だったのでどちらにも所属していた。
部活の方では人数不足もあって早いうちから試合に出させてもらった記憶がある。そうして高一の秋ごろからはショートを守らせてもらっていた。
たしか2番ショート。めちゃくちゃエラーしたイメージしかない笑。クラブチームでは監督の方針もあり、いろいろなポジジョンをやらせてもらった。そのおかげで高校に入ってから生き残れたと思っている。しかもキャプテンもやったり。いまじゃとても考えられない。あまり勝った思い出はなかったが楽しかった。
高校で野球をやるかはとても迷った。硬式にするか軟式にするか。それとも野球はやめるか。何回も体験会に参加して中倉先生と面談して、淑徳高校に入学することに決めた。
高校に入ってから、最初の春休みの練習、初っ端から全くダメだった。レベルが全然違った。夏大からベンチ入るつもりでいた。けど現実はそんなに甘くはない。そんな自分とは対照的に、先輩たちは自分にはできないプレーを平然とやっていて、それがとてもかっこよかった。元々全然野球について詳しくない上に淑徳は複雑だった。全く覚えられないし、体が思ったように動かない。高校野球のレベルを肌で感じた。絶対に追いついてやるって思ってた。ただ、周りの人のレベルが高く、ずっと置いていかれていた。1年生の夏休み、試合は全員だったけどほとんど試合に出ることができなかった。B戦でも2試合目の最後の方だけ。ほんとに悔しかった。秋大ではチームはベスト4、改めてすごいところに来たのだと思った。絶対ベンチに入って戦いたい、と思って練習してた矢先、オフシーズンに怪我をした。練習試合解禁後も結果は出なかった。そして、状況は変わらずに一年生が入ってきた。1番やばかったのは共栄学園戦のシートノック。サードだから1番最初なのにバックホーム一発で決められなかったら強制終了で3回連続エラー。シートノック終わらせちゃってごめん。この頃、全くAチームに上がれる気はしなかった。けどなんとかくらいつこうと思ってた。2年生の夏休みまではAチーム帯同0回。なんならBチームの3、4枚目の内野っていう立ち位置だったと思う。この時期はほんとにAに上がれる気がしなかった。本当に辛かった。しかも、自分から見たらまわりはみんなうまくて、すごい焦ったし、絶望感もあった。何をやっても悲観的に見えた。自分のやってることが正しいだなんて考えられなかった。自分が情けなくて恥ずかしかった。この時期が自分の人生で1番絶望感があった時期だと思う。本当に野球をやめようと思った。何度も野球から離れたくなったしほんとに部活を辞めようと思った。スマホをいじっている時に野球の動画が流れてきたらスクロールしてしまうくらい。家でも両親は僕のことを気遣ってか野球の話はしないでいてくれた。ほんとに申し訳ないし感謝してます。この頃は毎日がほんとにしんどかった。何度も体調を崩した。もともと遠かった坂戸もこの時期はすごく遠く感じた。だんだん朝が辛くなって、夜も寝れない日々がすごく増えた。ご飯も全然食べれなくなった。けど、ここで諦めたくないってずっと思ってたし夏や秋の大会を見て、大会で活躍したいって思ってた。それを諦めることはしたくなかった。それに、ここでやめたらすごく逃げた感じになってそれも嫌だった。それで辞めるって言う勇気が出なくて結局は続けることにした。今となってはいい経験だと思う。だけど、うまくいく時期が来ると信じて迎えた夏休み最初の浦和麗明の後からはAチームに定着できていた。東海大浦安戦で途中からサードに入ってそこでビギナーズラック的な要素でうまくいき、スタメンに抜擢されるようになった。秋大ではレギュラーで使ってもらえた。一桁をもらえて嬉しかったし、悩んだことも、努力していたことも正しかったって思えた。あの時のことは一生の教訓になると思う。だけど、広尾の最終打席、打てなかった。ファールにするので精一杯だった。あそこで塁に出れてれば…今でも思う。そこからバッティングをする時にケースをより意識するようになった。次はあそこでガッツポーズできるようにしたい。そう思って練習してた。ただ、ビギナーズラックは長くは続かなかった。良かったのはこの時だけで結局秋大が終わってからは一度もA戦スタメンで使われることはなかった。ちょうど冬休みの頃、足首を捻挫した。冬休みはずっと上半身のトレーニングしかしてなかった。もったいなかったと思う。結局春、予選は外れた。外れた後最初の西武文理戦で結果を残して、そこから針谷と一緒にAチーム帯同、関西遠征の頃はめちゃくちゃうまくいってた。柏原の最終回のツーベースは人生でも上位に食い込む印象に残った打席だったと思う。結局本戦から入れ替えで入った。なんでこんなにこの時期うまく行っていたのか自分でもよくわからないくらいうまく行ってた笑。けれども春大の佼成学園戦の代打、打てなかった。ほんとに悔しい。ここで打つために練習したのに…ただ、あの接戦での打席や一つのミスで負けにつながりかねないタイブレークでの守備を経験できて、一歩成長できたと思う。あの感覚をまた味わいたいとすごく思った。春ダメだった分夏までの練習試合で絶対に結果を出して、信頼を勝ち取って試合に出れるようにしたいと心の底から思った。ただ、そこからは思うように結果が出ないような毎日が続いた。今までしなかったようなサインミスも起こり始めた。焦燥感から全てが空回りして悪い方向に行っていた気がする。
高校生活で7回くらい怪我して、約半年分くらいは離脱していたかもしれない。けどこの間に今自分にできることを全部やるって言う考え方と、耐えることが身についたと思う。これが今自分が行動している1番の土台になっている。夏大は自分ができること全てやってチームに貢献する。コーチャーにいるからみんなたくさん腕回させてね。広尾の最終打席で打てなかった。佼成学園戦での代打でも打てなかった。チームでも練習試合で大量にボロ負けした。悔しい思いはたくさんしてきた。夏、絶対勝ち進んで去年よりも長い夏にしよう!
3年生へ
2年半ありがとう。最後まで頑張ろう。
先生へ
2年半ありがとうございました。手のかかる面倒なやつだったと思うのですが最後まで面倒を見てくれてありがとうございます。先生方のもとで野球ができてよかったです。野球だけじゃなくて人間としても成長できました。最後までよろしくお願いします。
1、2年生へ
舐められてたのかはわからないけど親しみを持って接してくれて嬉しかったです。
2年生はあと一年あるし、ここからでもどうにでもなるから頑張って欲しい。怪我にだけは気をつけて。
両親へ
いつも本当にありがとう。わがまま言ったりイライラをぶつけたりしてごめん。野球やめるっていう話の時もほんとに迷惑かけました。7年半全てぶつけます。最後までよろしく。
あおと
俺とは立場が全く違って俺にはないストレスやプレッシャーとかあるだろうけど、頭のネジ外して頑張れ。自慢の弟(!)