「夜霧よ今夜もありがとう」を歌いながら帰る。
寂しさの紛れるものもない、白けきった夜に。
私は路肩の擬石に腰掛けて、鬼ころしを飲む。
寂しさ、底知れぬ寂しさに。
都会の夏の夜に、ただラアラア唱つてゆくのだ。
夜の寂しさ、夏の寂しさ、シナジーが孤独を加速させる。
コンタクトレンズが乾いてきた。
裸一貫は孤独ではなく、人の中に孤独があるのだ。
夏祭りのポスター。虫の声。夏の終わり。寂しい。
寂寥は鼓動と双生児にして、永遠の天敵である。
本当は私は寂しさなんてものは知らないのかもしれない。私のこれは何だろう。寂しさのミミック!
真の寂しさには何千年の歌があるし、何兆人ものケースがあるだろうが、私のこれは一体何であろうか。文学青年の幻想に過ぎないのであれば、あぁ、私の苦悩も所詮ミミック、イミテーションに過ぎない。
真人間になる。私は、真人間になるんだ。文学なんて全く知らない、本なんてイーロンマスクの伝記しか読まねえような、しみったれになる。漢詩も読めない、くずし字も読めない、文学的原始人になるんだ。