踊り子の指定席券を買い忘れていた(そもそも踊り子が全席指定席だと知らなかった)私は、伊東線でゆっくりと行く。下田まで。今日からゼミ旅行である。

13時に下田駅に集合と言われていたが、私は生来のへそ曲がりなので11時には着く計画を立てた。

早く着いて、海を見ながら珈琲を啜ったり、三島由紀夫の贔屓にしていた洋菓子店のマドレーヌを食べたりしようと思った。

私はいつも旅のお供に本を持っていく。今回は「熱海の海岸散歩する」『金色夜叉』を選んだ。本当は『伊豆の踊子』を用意したかったが、時間とお金がなかった為、断念。貧しきものは幸いならず。

新幹線で読み、伊東線で読み、往路は特筆すべきことはあまりなさそうだ。

強いて言えば、伊東線に切り捨てられそうになった。伊豆高原で妙に周りがソワソワし始めたので本を閉じてイヤホンを外せば、後方3両は切り離すとアナウンスをしていた。慌てて6号車を降りて、3号車に飛び乗った。私のような間抜けは、旅行ひとつマトモに出来ない。

3号車ではお爺さんが始終不機嫌そうな顔で鼻をほじっていた。万が一、どんなにこれからの人生が退屈で不快であったとしても、こんな人にはなるまいと強く思った。「からはらいたし」というのはこういうことだろうとも思った。

それから、アジア系の観光客がホームに降りて車窓を磨いていた。こればっかりは意味が全く分からなかったが、それからずっと車窓に、白い渦巻き状の拭いた跡が残っていた。拭くならせめて綺麗に拭けよ、と思った。

伊豆大川駅から大きな廃墟が見えたので、調べてみたら大川グランドホテルというものらしい。海沿いに立つ巨大な廃墟は、RPGに育てられた私の興味をそそる。ポケモンならみずタイプ、むしタイプ、ゴーストタイプが出るし、妖怪ウォッチならボスバトルがあると思う。知らんけど。

伊豆稲取駅のホームには「現代アートっぽい」絵画が何枚も飾られていて、そのドギツイ色とか、安易に「LOVE」とか書いてしまう感じがあまり好きではなかった。無粋も甚だしいと思った。

10時半に到着した伊豆急下田駅にも同じような絵があって、それらはどうやら「プレバト」の企画で描かれたものらしい様子で、ますます興が削がれた気分がした。


伊豆急下田駅は、私が想像していたよりもずっと便利だった。駅のすぐ近くにはダイソーや東急があって、若い人の往来も多かった。

まずは三島由紀夫の愛したマドレーヌを探した。駅から歩いておよそ10分位のところに店があって、中に入ると三島由紀夫の写真が花と飾られていた。間違いなく、三島由紀夫ファンにとっての聖地のひとつなのだろうと思った。

250円のマドレーヌに期待する味のハードルはとても高かったが、それを優に超える美味しさだった。ホロリと柔らかくもボロボロするということではなく、しっとりとして食べやすい。甘い風味は決してわざとらしく強調されたものではなく、上品な甘さが口の中にゆっくり広がる。バターを使っていないからこその風味。実に素晴らしいマドレーヌだと思った。マドレーヌの皇帝。

洒落たカフェもいくつかあった。

私の入った「平野屋」というカフェは、壺や日本画やスタンドガラスが飾られた、モダンな雰囲気のお店だった。紅茶もほんのりさくらんぼの風味がして美味しく、ちょうどその頃来たLINEで、自分以外のメンバーが皆同じ電車に乗ってくることを知った寂しさも少しは紛れた。この自由時間はなくなったかも知れないが、誰かともう少し話をするべきだったと思った。どうせ、どうせ俺は独りだ。


もうすぐ始まるこの合宿がどんなものになるか、皆目見当もつかないが、きっと良い思い出になることを祈って、今日はここまでとする。