「誕生日に死ぬ確率は他の日と比べて高い」という噂を耳にする。
誕生日を迎えると色々考えることがあって自殺する人が多いから、という仮説を紹介するサイトもある。
そんなことあるもんか、と思いつつ、自分について考えずにはいられない、昨日は私の誕生日。
祝ってくれる方々があって、人の優しい心に触れて素直に嬉しい気持ちと、その方々の誕生日をその日にお祝いできていなかった自分が情けなく、申し訳ない気持ち。しかりと人の誕生日くらい覚えて然るべきではあるが、人の顔と名前を覚えることも得意ではない私には、難しい部類の作業である。
来年から社会に出て、もうこのモラトリアムからは出ていかなければならない歳になった。私を社会で待ち構えるものがなにか、何も分からないけれども、若さが失われていくような焦燥感ばかりを最近感じる。私の若さ、人生が少しずつ削れていく恐怖、焦燥、後悔……。今この瞬間にも、私は何も生まないまま、若さを浪費してしまう。何者かになることそれ自体に意味はないと思いながらも、何者にもなれないまま、私は死にゆくのだという恐怖を感じる。
花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に
汗臭い自分を、まさか花には喩えないけれども、何か急がないとあっという間に人生が終わってしまう気がして仕方がない。小さい頃には永遠のように思えた人生も、もう5分の1がとうに過ぎた。これから人生の消費は加速する。
一生不安を抱えて、何かについて悩み続けて、何者にもなれないまま、この世に間借りしているだけで、私は死ぬのか。
誕生日に死ぬ理由が分かる気がした。何者かになるまで(なっても)死なないけど。