学会見学。佐藤案山子、異郷訪問。


大学の課題の一環で学会に参加してみた。開始時間のおよそ40分前に会場入りをして、どこに座って良いかも分からず、まだほとんど誰もいない会場の真ん中あたり、映画館で一番最初に埋まりそうな席に座った。私と同じような、とぼけた顔の学生が来ることを待って入り口を凝視していたが、その期待は悉く裏切られた。次々と集まってくる、如何にも強者といったオーラを纏っている人々。サウナにおっさんが入ってくるのとは訳が違う。一人入ってくる度に、自分が如何に場違いであるかを実感させられる。

今昔物語集にあった、鬼の行列をうっかり見てしまった人間の話やら、こぶとり爺さんが鬼の集会に巻き込まれた場面やらを思い出した。何かの手違いで、私は今、本来は来る筈ではなかった人外魔境に迷い込んでいる……。ゾロゾロと人が集まって来て、あちらこちらで偉そうな人が偉そうな人と挨拶している。私はただ一人、隠れて太宰治全集第一巻を読んで、「選ばれてある事の恍惚と不安と」なんて、頭に入ってきやしないのに、目を滑らせて、私は置物です、椅子の付属品です、私を見つけないで下さい……。

司会者が前へ。発表者、緊張の面持。皆、これから何が起こるか知っている。私だけ知らない。何かとても恐ろしく、残酷なことが起こるということだけ。澁澤龍彦が『死の劇場』という作品を翻訳したのを読んだことがあるけれども、きっとあの主人公もこんな気持ちで劇場にいたに違いない。恐怖と、興味と、不安……。


やがて発表が始まって、果たしてトーシロの私には何が何やら分からない。発表資料のページをめくるタイミングを、他の人々とシンクロさせることに集中していた。少しでもタイミングがずれればきっと、周囲の鬼達はトーシロの匂いを嗅ぎつける。そして、鋭い眼光で以って、聖セバスティアヌスの例の絵画のように私を滅多刺しにする。あぁ、無知は罪である。君子危うきを知らずんば避け難し。


発表後の質問コーナー。丁々発止の議論である。言葉が刃であることを実感する。剃刀のような鋭い質問が発表者を斬る。その刃は、きっと発表者を攻撃する意図はないものだろうとは思う。何か「真理」を求めて密林を突き進む探究者達が、しがらみを切り拓かんと振り回したナタが当たってしまっているような、イメージ。純粋な探究心からの切味。

この猛攻は一方的なものではない。相手が言い切らないうちから反論を試みる発表者。怖い。洒落のひとつでも挟んでくれないと、どんな顔をしていれば良いのか分からない。USJで、ヴィランとスパイダーマンが戦っているのを、半開きの口で眺めているみたいな、うわ、なんか凄いことが起きてんだろうけど何が何やら分からない、俺無事で帰れんのかな、みたいな。

質問者と発表者はお互いにその刃で打ち合っていた訳だが、一応形式というものがそこにあったことを考えると、単に乱暴な戦闘ということでは決してなく、組み手のような、精巧に練り上げられた殺陣のようなものだったような気もする。でも怖い。極力オンデマンドで、時間と空間を隔てたところから観察したい。

この先生方は大学ではどんな風なのだろう、家ではどんな様子なのだろう、と考える瞬間もあった。きっとこの人々の講義について、汚い茶色の髪をした大学生がアイコスを吸いながら、「あぁ、それはエグ単だからやめといた方が良い」なんて言うシーンもあるだろうと考えて、親近感。ソイツがどこの誰かも、存在するかも知らないけれど。


鬼たちが唾を飛ばして議論する場に居合わせた私は、その唾を受けて透明になるということはなく、むしろより一層、自分の身の丈に合った社会で生きていくしかないという気持ちになった。しかし、自分の知的好奇心が満たされる感覚が心地良くもあった。interestingな空間だった。否、こんな薄っぺらい言葉ではいけない。何かこう、ええ、すさまじ、というか、おそろし、というか、やはり、あそこは、人外魔境。あぁ、怖かった……。