意味もなく怒っていた。

今こうして描写しようとしても意味をなさないような、そんな怒りを感じていた。

だから私は夜だというのに外に出た。

一度も行ったことのないセブンイレブンを探しに。

セブンイレブンは日常の象徴。

未踏の地は非日常の象徴。

「日常と非日常の二つのレイヤーがセブンイレブンという点を目印に重なることによって、息の詰まる現実世界に風穴を開けようという試み」

歩いているときにそんなテーマを考えた。意味はない。

サンダルで二時間。大通りから、思いついたタイミングで右に曲がり、左に曲がり、少しでも知っているような風景が見えたらそこから遠ざかるように歩いた。

知らないはずの街なのに、知っている光景のコラージュのように、四割程度の既視感があるような心地。知っているような知らないような道で、自分が今どこにいるか徐々に分からなくなっていって、気がつけば明かりのない住宅街の四辻の真ん中。私は都会の街で迷子になった。

大人になった今、子供の頃によく感じた迷子の心細さを感じることは悪くなかった。知ったかぶりがデフォルトになりつつある年頃の私に、「知らない」ことがほんのりとした命の不安と一緒にやってくるということ。等身大の感覚が、背伸びし続ける自分に本来の姿を思い出させてくれたといってもいい。

迷子になって、見失っていた自分を少し見つけた気がした。


とかなんとか格好つけたところで真っ暗な四辻。

昔ACのCMで「一人にならない。一人にさせない。」という、夜道をシマウマが歩くシーンが印象的な作品があった。一匹のシマウマが真っ暗な道を歩き、そして、拐かされる。あの映像を見たときに感じたゾッとするような恐ろしさ、心細さ。それに似たものを感じた。尾てい骨の辺りから痺れるような不安感を覚えた。そもそも四辻ということが良くない。昔から四辻について縁起の良い話を聞いたためしがない。加えて真っ暗で人ひとり居ないのだから、不気味どころのものじゃない。いい歳して迷子になって逃げ出したくなっていた。実に、実に情けない……。


が、なんとかなったのは私がむさ苦しい成人男性であるということと、イヤホンで大音量で音楽を聴いていたからだった。

Pink Floydの"Shine on you crazy diamond"やDavid Bowieの"Starman"、それから邦楽では相対性理論とかPUNPEEとか、思いつくまま好きな音楽を聴いて自分を鼓舞した。やっぱり、音楽は良いなぁ。迷子の成人男性にも勇気をくれるんだもんなぁ。「しゃーいおーん、ゆぅくれーじ、だいやもーん」とちょっと口ずさみつつ真っ直ぐ歩き続ける。振り返ったらマズイ気がするし、かといって目の前に何か現れてもよくないので空を見ながら歩いた。


暗闇は無限には続かない。Earth,Wind&Fireの"Shining star"と"Sing a song"を聴きながら真っ暗な住宅街、人ひとり居ない雑木林の横道を無理やり陽気に突破した。正直めちゃくちゃビビっていたから、もうさっきの意味のない怒りなんて胸にはなかった。


暗い道を抜けて大通りに出て、一度も行ったことのないセブンイレブンと邂逅。フランクフルトを購入して、しっかりケチャップとマスタードをつけて、ムシャムシャとやっているうちに、コロナのときに運び込まれた大学病院の目の前までやってきた。もう家は近い。そういやコロナで呼吸が浅くなって両手が痺れたとき、いい歳して半泣きになったなぁ、と思い出す。道行く人の数もさっきの住宅街とは大違い。美人なお姉さんも、陽気なおじさんも……あっ、あの人も美人だなぁ……。


と、よそ見していた私が悪いんだが、ぼーっと道なりに歩いていたら真っ暗な川沿いの道にいた。また人は居ない。灯りもない。足は靴擦れて走ること能わず。南無三。仕方がないから、まっすぐ歩いて、灯りが見えたらそこに向かうことにした。


しかし歩けば歩くほど、灯りが更に無くなっていく。南無三。左手に少し灯り。公園が見えてきた。そこを婆さんが何か言いながらウロウロしている。南無三。目の前から歩いてくる男性の左手の黒い物体。もしやナイフではあるまいな……。背中を焼くような不安感、もしかしたら気付いていないだけで刺されてやしないだろうな……。南無三、南無三……。


でもこんなときでも音楽は良いよなぁ。Fleetwood Macの"Chain"と'Tusk"を聴くと前に進む勇気が湧いてくる。そのうち車の灯りが見えて、やがて大通りに出た。ありがとうStevie Nicks、迷子成人男性の強い味方。


そっからは環状線を辿って帰った。それだけ。


今回の放浪に意味はない。学びもない。

それでも良かった。怖かったけど。

もういいや今日はこの辺で。なんかやる気が出てきたよ。