Number Web フィギュアスケート氷上の華(ちょこっと追記) | chasse ~シャッセ~

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フィギュアスケートが大好きです(●´▽`●)

リアルでは語れるお友達いないので(笑)、ここで発散していきます。

パトリック・チャン印のワインって!?フィギュア選手、引退後の様々な人生。



先月カナダでパトリック・チャンが、自分のワインブランド、パトリック・チャン「オン・アイス」を発売する電話会見を行った。これはカナダのオンタリオ州にあるワイン業者、「フラットロック・セラーズ」とのコラボレーションで実現したもの。2013年にナイアガラ半島で収穫されたリースリングを使用して醸造されたアイスワインだという。

 「この企画でフラットロック・セラーズとのコラボレーションができたのは、すばらしいこと。自分はスケーターとして自分の技術を世界中の人々に楽しんでもらってきた。ぼくのスケートのように、このワインの独創的で特別な味わいを楽しんで欲しい」と、チャンはコメントした。

 スケーターとワインのコラボというのは初めての試みだが、“アイス”を共有しているという意味において、面白い目の付けどころと言えるかもしれない。

 チャンは5月に、バンクーバーで本人の名前を冠したスケートリンクが総合スポーツ施設内に建設される企画が発表されたばかり。エージェントのロブ・マッケイによるとチャンは平昌オリンピックまでデトロイトを拠点にすることに変わりはないが、このリンクの完成後にはアドバイザーとして定期的にセミナーなどを行う予定なのだという。

 2018年の平昌オリンピックを目指しながらも、すでに競技引退後のセカンドライフのオプションを堅実に積み上げてきているのは、しっかり者のチャンらしい。


フィギュアスケーター、それぞれのセカンドライフ。

 どの競技スポーツでもそうだが、フィギュアスケーターにとってもセカンドライフの設計というのは容易いものではない。

 大きなタイトルを手にした選手なら、荒川静香のようにテレビの解説とアイスショー出演を両立させるのが一般的だが、もちろんごく一握りの選ばれた選手のみに開かれた門である。

 リンクの数もスケート人口も豊富な北米の場合、選手の大多数は引退後はコーチになる道を選ぶ。選手によっては、現役中からリンクで自分のトレーニング時間外にバイト代わりに子供の指導などをはじめ、競技から引退したらフルタイムでコーチとなる。


元五輪メダリストが初心者にも指導してくれる?

 スケーターによっては、自分がついていたコーチのアシスタントとして指導チームの一員となり、かつてトレーニングメートだった選手たちの指導にあたる。前年まで現役だった選手が、翌年にはコーチとしてキス&クライに座っている姿を見かけるのは、こういう恵まれたケースである。

 だがそれ以外の選手は、コーチになったら自分の生徒は自力で開拓していくしかない。

 子供たちだけでなく、大人になってはじめた趣味のスケーターも、えり好みせずに指導する。信じられないかもしれないが、元五輪メダリスト、世界チャンピオンクラスの選手でも、コーチになったあかつきには、お金を払えば初心者にでも教えてくれるという状況も珍しくない。


振付師になるスケーターとは?

 中には、スケーターから振付師に転向する選手もいる。

 日本でなら、最近では高橋大輔などのプログラムなどを数多く手がけてきた宮本賢二が、もっとも成功した例だろう。

 元アイスダンス全日本チャンピオンの彼は、2006年に引退後、少しずつ振付を手がけはじめ、現在ではエフゲニー・プルシェンコなど海外の選手からの依頼も来る売れっ子振付師となった。

 振付師に転向するスケーターは、現役時代から独特の個性があり、表現力にこだわりのあった選手である。羽生結弦のプログラムなども手がけてきたジェフリー・バトル、シェイリーン・ボーンなども現役時代からその表現力が光っていた。

 トリノオリンピック銀メダリストのステファン・ランビエルもアイスショーで活躍する傍ら振付をはじめ、町田樹のプログラムなどを手がけてきた。来季のエリザベータ・トゥクタミシェワのプログラムも彼が振付ける予定だという。

 コーチも同じだが、振付師として成功する人物が、現役時代に素晴らしい成績を残した選手とは限らない。

 ニコライ・モロゾフがその良い例で、本人は大きな国際試合でメダルを手にしたことは一度もなかった。だが競技引退後、振付師としての才能を開花させ2002年ソルトレイクシティ五輪ではわずか26歳にして、アレクセイ・ヤグディンのプログラムで一躍「金メダリスト振付師」となった。

 彼のようにコーチと振付の両方を手がける人物も珍しくはない。振付師はコーチに比べると数の上で需要が少なく、それ専門で生計をたてていくのはやはり特別な才能が必要とされる。


フィギュアスケート界から姿を消した選手たち。

 選手の中にはきれいさっぱりと、スケート以外の道を歩み始める選手もいる。

 昨シーズンの全日本選手権のエキジビションで、突然引退宣言をした町田樹はまだ人々の記憶に新しい。2014年には世界選手権で2位となり、まだまだこれからが期待されていた選手だっただけに、誰にも予測できない不意打ちの引退劇となった。

 だが本人の中では、極秘のうちにセカンドライフの準備が進行していた。優勝した2014年10月のスケートアメリカの開催中に、早稲田大学の大学院から合格通知が届いていたのだという。研究者を目指すという町田は、その後すべてのメディア出演依頼を断って静かに第二の人生を歩み始めている。

 海外に目を向けると、彼ほどドラマチックではないが、やはり大きな転身をはかったスケーターは少なくない。元世界女王のミシェル・クワンは競技引退後、スポーツ親善大使などの役目をこなしながらコロラドで大学、大学院を卒業。2013年に政治家、弁護士のクレイ・ペルと結婚し、ソチオリンピックでは米国のテレビ解説者として久しぶりにスケートの会場に姿を見せた。

 2010年バンクーバー五輪王者のエヴァン・ライサチェクは、重なる負傷で競技復帰を断念した後、現在はニューヨークに移住して不動産業に転職したという。

 本人のユニークなキャラクターが好感をよび、今や売れっ子のテレビタレントとなった織田信成は、世界で見ても珍しいケースだろう。タラ・リピンスキー、サーシャ・コーエンなど女優業を志願した選手は少なくないが、今のところ本格的にハリウッドでキャリアを築いたスケーターは1930年代に活躍したソニア・へニー以外いない。


ニューヨークで充電中の高橋大輔。

 気になるのは、アメリカで充電中の高橋大輔である。

 4月に渡米した彼はニューヨークで英会話学校に通いながら、ダンスレッスンも受けている。現在のところごく限られたスポンサー活動のみで、メディア露出も最小限に抑えている高橋は、エージェントを通してこのようにコメントした。

 「現在は特に(将来のことは)決まっていないんです、なかなか簡単には決まらないと思いますが、語学勉強やダンスを通して見えてくるものもあるのではないかなと思っています」

 世界中のファンに多くのものを与えてくれた彼のスケート人生に相応しい、充実したセカンドライフを見つけて欲しい。

(「フィギュアスケート、氷上の華」田村明子 = 文)

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Numberって、この間初めてコンビニで見たの。
錦織圭の表紙のヤツ。

薄いんだね~
知らなかった。


今までそういうのは買わないように見ないようにしてきたから、びっくりしたわー。

買えばよかったかな(´ω`)


今度ゆづの表紙のが出たら買ってみようw









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