昨日の夜はドミニカ共和国は中秋の名月でした。

奇しくも同日には日本人学校で盆踊り大会が開催され

満月の月明かりの下で多くの日系人と日本人が集まり

風情を楽しんでいました。

 

 

 

 

 

 

最近は子供と百人一首を遊んだりすることもあります。

その中に出てくる安倍仲麿の詩は遣唐使の留学生として

中国の唐に渡りその中で遠い日本への帰国を願い

満月の夜につくられたものです。

(船で中国ー日本に渡るのはまだ命がけの時代でした)

百人一首の中で唯一、海外で詠われたものとして

知られていますがその阿部仲麻呂は唐の

玄宗皇帝に気に入られ高官にまで上り詰めましたが

生涯日本に帰ることは叶わず世を去ります。

 

ドミニカ共和国の日系人は戦後に日本からドミニカ共和国に

渡ってきた方達であり、65周年を迎えたそうですが

すでに3世代目、4世代目の時代になってきています。

日本から遠く離れた土地、西方の故郷にかかる

満月の月明かりの下で盆踊りに興じる彼らを見て

三笠の山の方向にいづる満月をみながら

遠い祖国への気持ちを詠う安部氏の歌が

思い出されました。

 

 

 

 

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百人一首、古文書講座より。

 

※この歌は次のような事情でよまれた。

むかし、阿部仲麻呂が、政府派遣の留学生として

中国(※当時は唐)へ送られたところ、たくさんの年数がたって、

日本に帰れなくなったのだが、日本から再び送られてきた

遣唐使(けんとうし)たちといっしょに連れだって、

「日本に帰ろう」と思って出発した。

そして、「明州(めいしゅう)」というところの海辺で、

現地の人が送別会をしてくれた。

夜になって、月がひじょうに明るくさしのぼったのを見て、

よんだ和歌だと語り伝えられていることです。

(その後、嵐が起きて日本に戻ることができず)

 

振り向いて広々とした大空を見わたすと、

そこには夜空にかかる月、あれは、

春日にある三笠の山にのぼった月なのだなあ。

 

 

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