朝に2人の子供を幼稚園、学校に送り迎えをしていた時の話。
車の中でふとした事で上の姉に
「そういう才能あるんじゃない?」というような
よくある会話が出たのですが
下の子に「”さいのう”って何?」と聞かれました。
すぐに上の娘が「”才能”って勉強ができる、とか運動ができる
とかそういう意味でしょ?」と言われたのですが
少し考えて
「うーん、半分当たっているけど正確には
そういう意味ではない」
と答えました。
才能という言葉のちゃんとした意味を子供に伝えておくのは
大事なことかなとか思ったためです。
才能は飽きずにずっと続けられること、例えば
XX(下の息子)は車のオモチャ遊びを家でひたすら
飽きずに続けられるでしょ、そういうのも才能。
何か努力を続けるのは大変だけど誰にでも必ず努力したり
大変なことでも続けることが辛くなかったり、他人に評価
されたり、されなかったりとか、そういうものとは
全く関係なく没頭できるもの、努力し続けられる
ものが才能、だということを自分なりの言葉で
子供に伝えました。
そして人生というのは簡単に言えば、この自分の才能
が何かを出会うための旅みたいなものだ。何か自分が本当に
好きでしょうがない、ひたすら努力できる、
そういうものをいつか見つけるといい、
そうすれば人生は半分ぐらいは成功したようなもの
という話をしたのです。
下の子:「なんでもいいの?』
自分:「なんでもいいんだよ、勉強ができるとかサッカーが
できるとかそういのはたくさんある才能のオプションがあると
すればその1つができるってだけにすぎないんだよ、だから
何を選べばいいかはいくらでも種類があるんだよ」
下の子:「僕、うまい棒(お菓子)が好きだから
うまい棒のさいのうがあるんじゃない?」
自分:「それはさいのうじゃなく好物だよ」
うーん、下の子には
ちょっと難しい話しでしたが「才能とは何か」
その本当の意味する所が上の娘に何割かでも伝わってくれれば
という親の願いでしょうか。
人と比べる必要もない、比べようとも思わない、
他人の評価も気にならない、他人から見たらとてつもない
努力を続けて大変に見えること、辛そうに見えること
ただ自分では全くそういう感覚もない、
なぜならそれが好きだから。
誰にでも必ず持っているもの、
それを見つけるための旅の書を誰でも
一冊持っている。
ホコリを被ってしまった一冊があるなら
久しぶりに開いてみたい。
日系メジャー:加藤・ジョン・豪将
(10年目にして初のメジャーリーグのフィールドに
立った際のインタビューにて)
「歩くことが好きな人はゴールを目指している人よりも
遠くに歩ける」

