大谷選手、イチローに続いてメジャーリーグの年間MVPをとりましたね。

しかも史上19人目の満票での選出なのでとてつもない偉業です。

 

 

 

 

今年は大谷のプレーを生で見てみたくて所属するチームのエンジェルスが

ニューヨークに来る日程に合わせてニューヨークに飛んで

ヤンキースタジアムまで見に行って

しまいましたがこれだけの偉業をしたことを考えると見に行った

価値があったなと改めて思いました。

 

自分も含めて「大谷を見たい」という目的で日本人以外にも多くのファンを球場まで

足を運ばせた大谷。そこまでの選手は過去なかなかいないのでMVP受賞は

当然かなと。

 

ただ今年のアメリカのスポーツニュースなどをネットで見ていて、スポーツ記者、

テレビキャスター、そして歴代のメジャーのレジェンド達、また多くの

アスリート達が今年の大谷を

1年間様々なコメントで評価をしてきたのを見て思ったこと。

それは彼らが最も今年の大谷に価値を感じていたのは

「野球の概念を変えたこと」です。

 

自分も小さい頃から野球をしていましたがそもそもプロに入るような選手というのは

ほとんどの選手が小さい頃は二刀流なのです。つまり素質が高いので投手と打者、

両方をやってきた人がほとんどなのですがその後、プロになる時に

どちらかを選ばないといけない、選ぶのが当然という流れがありました。

それが今年の大谷の活躍をみて今後はこの上記のMPV受賞の記者が話している

ように「どちらかを選ばなくていい」というコーチが出てくるはずで

これが新しい概念を作ったと言えます。

つまり「できない」という頭の中の限界を一つ破ったわけですから歴代のレジェンド

プレーヤーや他のトップアスリートほどここを高く評価していた印象です。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分はこの動画でヤンキースのエースであるゲリット・コールが

子供の頃は誰しもが2刀流をしていたのにいつしかあきらめてしまうけど

彼はその限界に挑戦しているから心から尊敬しているということを

よくコメントしているのを見る度にその価値を改めて強く感じるようになり、

一度は球場で生で見てみたいと思うようになったのですが

今回ニューヨークでそのコールと対戦する大谷を見れたのが

思い出になりました。コールもとても楽しそうだったのが印象的です。

 

 

何人かの日本の評論家は個人成績やチームの勝敗で見ると大谷は

年間MVPにはなれないだろうというコメントもありましたが

今回の大谷のMVPの評価はそういう次元のレベルではなかったと思います。

何といっても満票での選出です。

僕らは大人になるに連れて多くの否定的な意見を聞くにつれて

「できない」という既成概念が増えていくものです。

そして自らが作ったその頭の中の限界は他人から強制されるよりもはるかに

強い強制力を持つものなのです。

皆、「できない」と決めてしまう弱さをわかっているものですがそれに

抗うことは難しいことで今回投票した記者、そしてメジャーのレジェンドとも

言える方達も自分たちができなかったその限界と1年間戦い続けて結果を

出した大谷に多くの勇気をもらい、MVP選出という形で

最大級の賛辞を送ることになったのではないでしょうか。

 

 

私が、いつも手元に置いて壁に当たった時は読み返す本の言葉あります。

それはティナシーリグの下記の本の言葉です。

ドミニカ共和国で裸一貫で這い上がってきた中では辛いことや大きな壁の

連続でした。その度にこの本の言葉を読み、「できないと思ったら負けだ」

と自らに言い聞かせてきたのです。

人生は不思議なもので「自分ができる」と思ったことしか私たちは

達成できないものでそういう意味では自らの限界をどこに設定するのかは

そのまま私たちの人生を決めていくものです。

自分がまず「できる、やる」と決めることが最初であり、その次にようやく

「ではそこにたどりつくために今日、明日の、そして毎日の

行動をどうしていくべきか」という発想になる、そしてその

積み重ねのみが人生を変えていくものです。

 

 

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ティナ・シーリグ著 

「スタンフォード大学集中講義、私が20歳の時に知っておきたかったこと」

より

 

じつは、わたしたち自身も、大抵は他人に促される格好でたくさんのルールを自分で決めています。

自分に何ができそうかを考えるときにも、自然と自分に枠をはめています。

いつの間にか人は自分自身を何かしらのルールに当てはめていて、

それが自分自身の限界と捉えるようになってしまっているものなのです。

頭の中で決めてしまったこの限界は、社会のルールのよりもずっと強制力が強く厄介なものです。

本来であれば可能性で溢れているのに、自分自身で作った限界を上限として、

そこから踏み出そうとはしなくなってしまうのです。

 

常識を疑う許可、ルールを破る許可、失敗する許可、自分自身で進路を描く許可、

そして、自分の限界を試す許可を自分に与えてください。

これこそが私が20歳の時に知っておきたかったことであり

みなさんに伝えたいことなのです。

 

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