娘の国語の勉強を見てあげている時に

けっこう我が家の娘が漢字の書き順にこだわるので

バトルったという話。

 

娘の小学校の漢字の書き取りを見ていて思ったこと、それは

自分も書き順ってわかってないものが結構あるなと。

例えば「右」と「左」って「右」はノから書くのに、「左」は—から

書くとかこの歳になっても「えっ、そうなの」というのが

けっこうあります。

ネットでこんな情報がありました。

http://www.sky.icn-tv.ne.jp/~monokuro/torivia.htm

(右と左はなぜ書き順が違うのか)

 

必要ない知識すぎないか。。。

というかこの書き順を知らなくて人生で困ったことは今まで一度も

ないしおそらく今後もない。

 

情報化社会なので、ネットの情報を得るために文章を読めるように

またいざという時は発信できるようにするというのは大事だとは思いますが、

今後はますますデジタル化社会になる時代に「書く」能力が

どこまで必要かというのも考えるぐらいなのに書き順にこだわるとかは

1周遅れの議論だなと以前からちょっと思っていました。

筆順自体もこれが生まれたのは日本の戦後の頃で当時の文部省の

筆順の手引きもよく見ると完全に「書写」をベースに考えられています。

つまり明らかに書道をするために筆順を決めるみたいに

考えられたという時代なんですよね。

 

最初の頃は娘が書き順にこだわる=娘の漢字を書くモチベーションを

あげるため意図的に「パパはあまり書き順にこだわってこ

なかったからなぁ、教えて」

と言うと娘は「私はわかるから教えてあげる〜」という

感じで娘に教わったりして書き順というより漢字を覚えるモチベーション

のために「書き順のたしなみ」を利用していましたが、最近やたらと

こだわるようになってきたので、

「書き順完璧でなくて困ったことは人生で一度もない、

正確に読めたり書けることの方が大事」と

手のひらを返して大人の厳しさを教えておきました。

 

ただ我が家の娘はそんなことではひるまずに

「えっ、でもパパ書き順知らないから今、困っているんじゃいの?

私や弟に書き順教えれないじゃん」と言われたので

ここで奥の手を使うことに。

 

このひろゆきの「書き順にこだわらない方がよい」動画をみせて

みましたが弟と2人で見てちょっと納得してくれた感じが。

 

 

子供の勉強とか見ているとこういう「今の時代に合わない」ものは

算数とかも結構あります。

農作業に従事する人が今の時代は圧倒的に割合が少ない時代ですが

日本の算数は図形関係はとても時間を割きますし、逆に日本の算数では

複利計算は高校まで行かないと習わないという。

 

教育は時代を反映してそのカリキュラムが作られますが難しいのは

時間が経つうちに様々な既得権益も登場するのでそのカリキュラムの変更にも

時間がかかることですがそれで割を食うのはいつも次世代の子供達

だなと。