「親の顔」の話し、とうい不思議なテーマですが
最近、うちの奥さんと話していて本当に不思議だなと思ったこと。
地元で団地が同じの幼じみの女の子がいて、小学生の時は結構真面目で
男子を注意するようなタイプ、中学生になりちょっとヤンチャな道に
進んだのですが今ではとても良いお母さんで、子供が競泳で活躍して
いてオリンピックも目指せるレベルで猛練習している。そして
合宿や毎日の早朝練習のために毎日朝5時起きとかでお弁当作って
あげたり送り迎えしてあげたり、話し聞いていても「大変そうだなぁ」
とか「本当に良いママになっとるな〜」とか思っていたり
するわけです。
他にも地元の野球チーム関係の友達とか地元のクラス友達には、
中学ぐらいから中にはヤンチャな道に進んだ友達が今ぐらいの
年齢になると、皆すごくいいパパやママになっていたりする友達が
多い一方で、何人かは音信不通というか、そういう友達がいます。
その中には変な方向にいって最後は非情な死を遂げたと言う話を聞いた
友達がいて、その際はけっこう心が痛みました。同時に
「なんでそんな感じになったのかなぁ」とか考えたりもしたわけです。
頭の中で時計の針をゆっくり巻き戻しいく、
そして「ハッ」としたこと。それはそういう友達に
共通しているのがどう頑張っても「親の顔」が思い出せないのですよね。
小さい頃から遊んでいたりするので家は思い出せるのですが、
その中の親や家庭のイメージが全く「無」なんですよね。
偶然かなと思うのですが1人2人ではなく、何人かで
共通していたのでちょっと考えさせられました。
一方で昔、ヤンチャしていても今ぐらいの年齢になるととても良い
パパママになっている友達で共通しているのは親の顔がすぐに
思い出せること。野球関係の友達とかでボーイズやシニアだと
週末の試合は親も顔を出したりとかも
あって、自分たちに「お前らちゃんとヤレよ!」的なハッパをかけてくる
親もいたりしましたがそういう感じだと大抵、友達も今ぐらいになり
良いパパになっていたりするわけです。
ただうちの親も両親共働きでしたし、週末の試合に見にくることはほぼ
できなかったので、何も週末の試合に顔を出したからいいとか悪いでは
なく、そうでなくても、子供の時から地元で
お互い遊びにいったりとかきたりとかもなんどもある中で何故か
共通しているのが「親の顔がどうしても思い出せない」ということ。
ここで大事だなと思うのは別に「良い親の顔をしている必要はなく」、
自分は色々なタイプの友達が
幅広くいたので、両親のタイプも色々な人がいましたし、野球チーム
で練習にきていた親の中には厳しいし子供心に嫌な人だぁ、みたいな
人もいました(笑)
ただそこに何らかの「親の群像」が存在する
(その親が良い、悪いとかではなく)
というのが何か大人になり違いが出てくるのかなと考えたりした
ということ話。
こういうのちゃんと海外とかで研究が
あるのかな?とか思ってネットでググって見ましたが
心理学的な研究とかが出ているわけではないので憶測の域は
出ないですが備忘録までに。
家は買えてもその中の家庭までは買うことはできない。
やはり「無」なのが一番良くないのかなとか。
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「お金では買えない価値のあるもの」を大事にする。
お金があれば豪邸は買えるが、家庭は買えない。
高級時計は買えても、失った時間は買えない。
本は買えても、知識は買えない。
地位や名誉は買えても、人からの承認は買えない
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