娘が最近こなしているドリルの問題で、

文章を読んだあとで正解を探すのではなく、

自分の意見を書くという問題がありました。

正解にマルをつけることに慣れていた娘は最初、正解が

見つからないことに戸惑いましたが、「自分の意見を書くんだよ、

それが正解だよ」と説明していくと、先入観がまだない年齢

なのですぐに慣れていきました。

 

自分:「もし正解がない問題が出てきたらどうする?」

 

娘:「えー、そんな問題ないでしょ」

 

自分:「あるんだよ、本当は問題には正解がないのが普通だよ、

だから”問題”っていうんだよ、正解があるなら’問題”には

ならくない?」

 

国語や数学などの学校の勉強は正解が決まっていてその

既にある正解を見つける作業になるけど、社会に出た際に

特に「外側の世界」で重要なのは、自分で選んだ道を

正解にする力だったりします。

日本の学校教育’の場合、難しいなと思うのがそのまま大学

卒業しても「正解」がある問題を解くのは得意だったり、

また大衆の最大公約数の意見がある方向性が決まっているような

ものの生き方のみに走ったり(それが変化の世界で

今は間違っているのにも関わらず)

するケースが多く、これが日本の教育の最大の難点だなと

思ったりもします。

 

実際に世の中に出ると、毎回出くわす多くの問題は

正解がない問題を手探りで探していくような出来事

ばかりだったりします。

(小さな)仮説を立てて、それを実行してみて、ダメなら

微調整、修正してまた(できるだけ被害が小さいような)仮説を

立てて、また小さく実行してみて、ダメなら調整、それを

できるだけ早いサイクルで回しながら、ギアスピードを

上げるタイミングが来るのを忍耐強く待ち続ける。

勝負にでるときにも必ず生き残るカードだけはもっておくために

様々な選択肢を用意しておく。

 

 

 

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南場智子・著「不恰好経営」より

 

事業リーダーにとって、「正しい選択肢を選ぶ」ことは

当然重要だが、それと同等以上に「選んだ選択肢を

正しくする」ことが重要。決めるときも、実行するときも、

事業リーダーに求められるのは「胆力」ではないだろうか。

 

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ジョージ・ソロス

 

(幼少に「ホロコースト」でナチスに

追われた経験から)

勝負をする場面では常に「生き残る」ということを

第一に考えてきました

 

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