世界的な名著であるカーネギーの「人を動かす」。
時を超えても万人に読まれるこの本の中で, もっとも著者が言いたいことを
一言で表すなら「相手を承認する」ことの大切さと言えます。

「承認欲求」は人が持つ原始的かつ基本的欲求であることが
書かれていますが、一方でカーネギーは人がこの承認欲求を満たすことは
人生においてとても難しいことを語っています。
また社会学者マズローの有名な「人間の5段階欲求」においても
欠乏性の欲求グループの中で最も高次に位置する
のがこの「承認欲求」です。
これらは人の根源的な欲求であることが分かります。

ただし、社会に出ると人は無条件に承認はしてくれないものであり、
また承認は求めるものでもありません。
そして実は逆に他者を承認をすることで自己肯定感も高まり、
好循環を生むことが多く、承認をされる側ではなく,
他人にする側の人の方が満たされているというのが真理だったりします。
こう書くととても不思議な感じがしますがよく周囲を観察しているとこれは
本当にその通りだなと思ったりします。
人は面白いもので自らを承認しない人に対して
承認をしないものですし、相手の存在や無償の価値を認める、
誠実な関心を寄せる、こういう事は社会で生きていく上では
できるにこしたことはありません。

こう書くと社会的動物とも
言える「人」の世界は複雑な側面もありますが
そのような「人社会」において「無条件の承認」を
してあげれる存在をあげるとひとつは「親」になるかなと。

無条件に存在の価値を認める=承認は
親であれば本当は誰でもが子供に対してできることですが
一方で日々の生活の中で、忙殺などしていると意識していないと
忘れがちでもあるかなと。
子供ができてから、自分や他の方の子供とかを観察する機会が
増えましたが、彼らはこちらの想像以上に自分が
親や周囲の大人に見てもらっているか、どうかに敏感な生き物
だなということ。「見ていてあげる」というのは子供にとって思っている
以上に大事なことかなと思ったりします。
(でも日々の生活もあるからとても難しい!!)

またそうでなくても親側が心理的な問題を
抱えているとできないというケースがあるかと思いますし
こちらの方は少し深刻かもしれません。
(子供に強い依存心があるアダルトチルドレンとか)
多くの心理学者が発表しているように、
子供の時に周囲に「承認」されてない子供は大きくなると通常より
他人に対して求める承認欲求が高く、コミュニケーションに
問題を抱えがちになるそうですが「自己肯定感」が
損なわれていることが原因だそう。

自分も子供にひとつだけ持って欲しい能力をあげたら何かと聞かれたら
迷わず答えるのが「自己肯定感」。
周囲を観察していると年齢、性別、立場など関係なく、
自己肯定感がある人は良い生き方をしているなと
思わされることが多いです。

「自己肯定感」は多くの人は自分を好きでいること、とか自分を認めている
ようなイメージで思いがちですがそういうものではなく普通に
自分の欠点や問題も含めて今の自分自身を受容できている、ありのままを
受け入れているという感覚でしょうか。
自分のいい所探しをしてみた所で自己肯定感は高まりません。
自己肯定感を高めたい人でよくありがちなのが「自分の好きなところ探し」を
する人ですが結局それでは「嫌い」がまずベースにあり、その上に
何を積み重ねても砂上の楼閣になりがちです。
何故かというとそれでは
自分が好きと思っていた部分を他人に覆されることでもあればとたんに壁崩して
しまうからでそれは自己肯定感とは違います。そういう人は見ていると
自分の好きな部分を守るために逆にものすごい防衛壁を他人に張っていたり
他人に対して必要以上の同調行動を求めたりして
面倒なオーラを周囲に出していたりします。

そういう条件付きのものとは離れてありのままを受容できている、
「ありのまま」の中には当然「ダメな自分」も数々いたりするわけですがそれも
含めて誰でも「人それぞれの事情」があったりするものです。
その中では人によってはなかなか言えないような苦悩もあるかもしれません。
ただそんな中でも「まぁよく毎日やっているよ」とありのままの自分と
向き合えるイメージ、これが自分の思う自己肯定感に近いかもしれません。