評価の話しについて、先日は権威側からの評価の話、特に子育てについて
もっとも関係してくる親と学校という2つの権威側からの評価にスポットを
あてて書きましたが今度は全く違う切り口からこの「評価」の話を
書いてみます。
もっとも関係してくる親と学校という2つの権威側からの評価にスポットを
あてて書きましたが今度は全く違う切り口からこの「評価」の話を
書いてみます。
そもそも「評価」とは何かという話。
大人になると、大人同士でもけっこうこの評価というものは様々な所に顔を出してくる
からです。
大人になると、大人同士でもけっこうこの評価というものは様々な所に顔を出してくる
からです。
私たちは何かを見たときに、それを自分なりに消化しようとします。
生物の一種である私たち人間は、他の動物と同じように常に自分の安全を
確保するように脳にプログラムされています。
異物が目の前に現れたら、それを自分なりに消化して位置付けないと、安全が
確保できずに、不安になるのです。
生物の一種である私たち人間は、他の動物と同じように常に自分の安全を
確保するように脳にプログラムされています。
異物が目の前に現れたら、それを自分なりに消化して位置付けないと、安全が
確保できずに、不安になるのです。
この目の前に現れた異物の消化の試みが「評価」です。
目の前に現れた異物に対して、自分が知っていることに基づいて、
脳を総動員して動かして(笑)
「これは(この人は)どういうものか」を判断するのです。
目の前に現れた異物に対して、自分が知っていることに基づいて、
脳を総動員して動かして(笑)
「これは(この人は)どういうものか」を判断するのです。
「良いもの」と評価すれば安心しますし、「悪いもの」と評価すれば
疎んじ、「危険なもの」と評価すれば距離を置く、
「自分よりも優れているもの」と評価すれば尊重しようと思いますし、
「自分より劣っているもの」と評価すれば軽んじたり様々な消化行動を
行います。
このこと自体は良いか悪いかというよりも生き物としてどの生き物も
本能的に行うことなので悪いとかそういう問題ではありません。
疎んじ、「危険なもの」と評価すれば距離を置く、
「自分よりも優れているもの」と評価すれば尊重しようと思いますし、
「自分より劣っているもの」と評価すれば軽んじたり様々な消化行動を
行います。
このこと自体は良いか悪いかというよりも生き物としてどの生き物も
本能的に行うことなので悪いとかそういう問題ではありません。
しかし、大切なことはそれが「個人の」評価だという
ことを忘れてしまうと問題が起こってきます。
そもそも評価というのは、「個人が」知っていることに基づいて「個人が」
極めて主観的に判断するものです。同じものを他の人が見たら、その「個人が」
知っていることに基づいてその「個人が」判断するのですから全く違う
評価になることもありえます。集団が関わると集団による錯覚行動や
集団や群のボス、リーダーなどの誘導による誘導評価行動などもありますのでよりその
「主観的」状況に拍車がかかるケースもあります。
分かりやすく言うとその群のボスに嫌われると、ボスからの評価が悪くなる、
そしてその集団からの評価も悪くなる、みたいな。
ことを忘れてしまうと問題が起こってきます。
そもそも評価というのは、「個人が」知っていることに基づいて「個人が」
極めて主観的に判断するものです。同じものを他の人が見たら、その「個人が」
知っていることに基づいてその「個人が」判断するのですから全く違う
評価になることもありえます。集団が関わると集団による錯覚行動や
集団や群のボス、リーダーなどの誘導による誘導評価行動などもありますのでよりその
「主観的」状況に拍車がかかるケースもあります。
分かりやすく言うとその群のボスに嫌われると、ボスからの評価が悪くなる、
そしてその集団からの評価も悪くなる、みたいな。
このように、評価というものは勝手なというか、
きわめて個人的、主観的、ときにはとても
暴力性も伴うものですが、その自覚なく、唯一絶対的な真理であるかのように
相手に押し付けられることが多いものです。
その人にはその人にしかわからない事情があるのですが、
それを無視して何かを決めつけ、押し付けてしまう姿勢だからです。
評価に暴力性があるということは、それに傷ついてトラウマを抱える人がいるのも
うなづけます。
きわめて個人的、主観的、ときにはとても
暴力性も伴うものですが、その自覚なく、唯一絶対的な真理であるかのように
相手に押し付けられることが多いものです。
その人にはその人にしかわからない事情があるのですが、
それを無視して何かを決めつけ、押し付けてしまう姿勢だからです。
評価に暴力性があるということは、それに傷ついてトラウマを抱える人がいるのも
うなづけます。
人からの評価を気にする人というのは、気にしすぎだから気にするな、と言うと
余計意識してしまい、「やはり他人とは自分に評価を押し付ける、傷つける存在だ」
という認識を強化させて、ますます気にするという悪いスパイラルにはまりがちです。
またこういう人は良い評価を受けたら受けたで今度は「その評価を失いたくない」と
なってしまい、どちらにしても変なスパイラルに陥っているオーラを
出していたりして面倒な人だったりします。
承認欲求や称賛欲求、あと村社会的な所にいると
人が自分の周囲によってきてくれることを望む欲求
などもたまにいますが「評価」の構造的には傷つけられるとかの話と同じで、
表か裏かだけの違いです。
余計意識してしまい、「やはり他人とは自分に評価を押し付ける、傷つける存在だ」
という認識を強化させて、ますます気にするという悪いスパイラルにはまりがちです。
またこういう人は良い評価を受けたら受けたで今度は「その評価を失いたくない」と
なってしまい、どちらにしても変なスパイラルに陥っているオーラを
出していたりして面倒な人だったりします。
承認欲求や称賛欲求、あと村社会的な所にいると
人が自分の周囲によってきてくれることを望む欲求
などもたまにいますが「評価」の構造的には傷つけられるとかの話と同じで、
表か裏かだけの違いです。
一方で他人の評価を気にしない人は別の認識を持っていて他人の評価について
「それはあの人の見方」
「人は人、自分は自分」
「人は人、自分は自分」
とかなり割り切って見ることができる人でこういう人は自分も付き合いやすいです。
こういう人というのは、話を聞くと人それぞれものの見方が違うのだというのを
幼児の頃から生育過程で周囲から学んできた経験がある人が多いイメージがあります。
こういう人というのは、話を聞くと人それぞれものの見方が違うのだというのを
幼児の頃から生育過程で周囲から学んできた経験がある人が多いイメージがあります。
幼少の頃から家族など身近な人から比べられたり、評価される環境で育ってしまうと成人になる
に連れて人からの評価に過剰反応してしまいがちなのかなと。
ありのままのその子供を、それはその子の個性として受け入れていく、条件付きではない
無償の承認ができるのは親にしかできないことなのでここだけは
ちゃんとやってあげたいなと。
願わくば外側の得点表ではなく内側の得点表を大事にする子供に育って欲しいものです。
に連れて人からの評価に過剰反応してしまいがちなのかなと。
ありのままのその子供を、それはその子の個性として受け入れていく、条件付きではない
無償の承認ができるのは親にしかできないことなのでここだけは
ちゃんとやってあげたいなと。
願わくば外側の得点表ではなく内側の得点表を大事にする子供に育って欲しいものです。
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世界三大投資家、ウォーレン・バフェット
「私は、父から非常に多くのアドバイスをもらいました。
直接言われたわけではなく、父の言葉から自分で拾い上げたんです。
「あれをしろ、これをしろ」とは、まったく言わない人でした。
父は、自分の「外側の得点表」より「内側の得点表」の方がはるかに大事だと
教えてくれました。
自分自身がどう思うかではなく、世間がどう思うか、そんなこ
とばかりいつも考えている人たちがいます。
自分の内側の得点、それに満足していれば幸せな人生を送れる
と思います。外側の得点ばかりを気にしている人は、いささか
空しい人生ということになるでしょう。」
直接言われたわけではなく、父の言葉から自分で拾い上げたんです。
「あれをしろ、これをしろ」とは、まったく言わない人でした。
父は、自分の「外側の得点表」より「内側の得点表」の方がはるかに大事だと
教えてくれました。
自分自身がどう思うかではなく、世間がどう思うか、そんなこ
とばかりいつも考えている人たちがいます。
自分の内側の得点、それに満足していれば幸せな人生を送れる
と思います。外側の得点ばかりを気にしている人は、いささか
空しい人生ということになるでしょう。」
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