暦の上ではもう立秋である。
参議院も衆議院も暑い秋になった。
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 飯田蛇笏
高浜虚子は、昭和6年に次のように書いている。
「選といふことは一つの創作であると思ふ。
少くとも俳句の選といふことは一つの創作であると思ふ。」
私も創作の意味でこの時期に、この句を選ぶ。
ところで、参議院議員の藤井基之氏のホームページを見ると、
ヒューマンサイエンスのエクスパートとして、三つのフリー、即ち、
高齢からのフリー、障害からのフリー、ドラッグからのフリー
を掲げて活躍されている。
すばらしいことであり是非とも活躍をお祈りする。
そして、私の目にとまったのは、その膨大な「国会レポート」の最後の
件に、一服の清涼剤のごとく毎月の「俳句」で締められていることだ。
この素晴らしい選句を見ていただきたい。
これこそ、虚子の言う創作であると思う。
「藤井基之のホームページ」を見て下さいでは少々不親切なので、
私のメモ用の抜書きを掲げて鑑賞に供したい。
読者の皆さんは、更にどの句に二重丸を入れて選句されるだろう。
17年8月の「国会レポート」の俳句はどんな句が選句されるだろう。
参議院議員の藤井基之氏のホームページより抜粋
掲載月
涼風の 曲がりくねって 来たりけり (小林一茶) 16年8月
水打つて 広重の空 はじまりぬ (加藤楸邨) 15年8月
秋あかね きっとひかりを 食べている (坂本春子) 16年9月
この道をゆけばどうなるものか、危ぶむなかれ。
危ぶめば道はなし。
踏み出せば、その一足が道となる。
迷わずゆけよ、ゆけばわかる。 (一休禅師 ) 15年9月
運動会 今金色の 刻に入る (堀内 薫) 16年10月
秋風や しらきの弓に 弦はらん (向井去来 ) 15年10月
赤とんぼ 絣模様の 空を飛ぶ (大串 章) 16年11月
山麓の 百年の家 銀木犀 (坪内稔典) 15年11月
行く道が 帰りくる道 年のくれ (八田木枯) 16年12月
年の瀬や 水の流れも 人の身も (基 角)
明日待たるる その宝船 (子葉: 大高源吾) 15年12月
初春まづ 酒に梅売る 匂ひかな (芭 蕉) 17年1月
正月に ちょろくさい事 お言やるな (松瀬青々) 16年1月
寒椿 いつも見えゐて いつも見ず (神蔵器) 17年2月
椿よ高く 高き青空 仰ぐべし (荻原井泉水) 16年2月
げんげ田や 花咲く前の 深みどり (五十崎古郷) 17年3月
背の高き 卒業生が 泣き始む ( 作 住田祐嗣 ) 16年3月
腸に 春滴るや 粥の味 (夏目漱石) 17年4月
白木蓮の 天のきぬずれ 聴えけり (千代田葛彦) 16年4月
瀧落ちて 群青世界 とどろけり (水原秋桜子) 17年5月
薔薇五月 午前の海と 午後の海 (原田青児) 16年5月
あらたふと 青葉若葉の 日の光 (芭 蕉) 17年6月
眉太く引き 夏雲に抗がふや (矢部栄子) 16年6月
雨ふるふるさとは はだしであるく (種田山頭火) 17年7月
夏草や 兵どもが 夢の跡 (芭 蕉) 16年7月