Whitney Houston | スウェーデンで働く!

スウェーデンで働く!

スウェーデンで働きその合間にイロイロ・・・日記。

テレビでホイットニー ヒューストンのドキュメンタリーを見た。

I Wanna Dance With Somebody の映像の中のホイットニーは、キラキラと輝きながら陽気に踊っている。

2012年にビバリーヒルズのホテルで入浴中にコカインの影響で心臓発作を起こし浴槽で溺死してしまう。

ドキュメンタリーでは彼女がオーバードーズに至るまでどれだけ心がズタズタだったのかを感じてとても悲しかった。

ホイットニーの母親は、ゴスペルシンガーでそれなりの実績もあるが、自分が叶えることのできなかった全ての夢を娘に託したような印象を受けた。
通っていた女子校で出会ったロビンが唯一の友。
凄腕の音楽プロデューサーにスカウトされレコード業界の中心へ。
圧倒的な歌唱力を持つホイットニーはプロデューサーの手で作り上げられて、いくつもの賞を獲得。
彼女の歌はブラックミュージックではなくホワイト寄りの音楽だとソウル トレイン ミュージック アワードで大ブーイングを浴びたことも。

1992年にボビーブラウンと結婚。
翌年には娘が誕生し幸せな人生が待ち受けているかと思われたが、
ボビーのDV、アルコール問題、浮気などホイットニーに心の休まる時はない。
自身のドラッグ問題も解決するどころか逆にアルコールも加わり深刻化。
信仰心があついホイットニーは結婚式での神への誓いに背く事は許されないという思いがあった。
また親友ロビンとボビーの溝が深まりロビンはホイットニーを去る。

奇行や激ヤセが目立つようになり、
誰よりも強い結びつきがあると思っていた父親からホイットニーから支払われるべきものが未納だと裁判を起こされ、
彼女の心は壊れてしまう。
ホイットニーのボディガード(ケビンコスナーでなく本物の!、もちろん映画のような恋愛関係はなし)は、事態を深刻に見てこのままではパフォーマンスは無理とレポートを提出するが臭いものに蓋をするという対応を受ける。

愛する娘のために立ち上がろうとリバビリを開始し、ボビーと離婚したが、
2010年のワールドツアーは健康面でトラブル続き。
その2年後に他界のニュース。
悲しい事にホイットニーの娘も22歳という若さで母親と同じようにして亡くなってしまった。

類まれな才能を持つものはショービジネスで徹底的に利用され搾取され、
助けが必要な時は誰も振り向いてくれない。
いつも大勢の人に囲まれていても信頼できる人は少なくその人たちも彼女から去ってしまう。
見ていて切なくなるドキュメンタリーだったえーん