鎌倉幕府滅亡後に北条氏の残党と建武の新政に不満を抱く勢力が結んで北条氏の旧領国などで反乱が起き、鎌倉が3度攻め落とされますが、形勢を立て直した足利軍にいずれも短期間で奪還されています。


その中に最後の得宗で鎌倉幕府滅亡時に自害した北条高時の次男・北条時行がいました。彼は滅亡時に信濃に逃れて諏訪氏に匿われ成長し、反乱に担がれて3度鎌倉を攻め落としすぐに奪還されています。途中から吉野の南朝と通じて後醍醐天皇から赦免され南朝方に加わりますが、本来は北条一族の仇敵なはずなんですけど「敵の敵は味方」の論理なんでしょうね。このあたりの時期は特に足利尊氏・直義・北朝方・南朝方と勢力が分かれて、勢力どうしの連携も各々の武将がどれに属するかもその時々で違ったりしていますし「太平記」でもかなり入り乱れていました。

時行は3度めの鎌倉攻略後に奪還されて敗走する際に捕われて、鎌倉龍ノ口で処刑されたと伝わっています。この人物は「逃げ上手の若君」というアニメの主人公になっているそうです。読んだことは無いんですが確かに逃げたり隠れたりすることには長けていたのかもしれません。ただせっかく攻め落とした鎌倉で安定した勢力を保つことは一度もできていないので、反乱軍じたいがまとまりのない集団だったのかもしれません。


中先代の乱は乱そのものよりも、1度目の反乱軍に鎌倉を攻め落とされた時に足利直義が敗走のどさくさ紛れに大塔宮護良親王を弑したことと、その直後に鎌倉奪還のために足利尊氏が後醍醐天皇と袂を分かって鎌倉に軍を進め、建武の新政に見切りをつけて武家のための新たな幕府樹立に大きく方針転換するきっかけになったことにこそ重要な歴史的意味があると思います。

このあと南北朝の対立や観応の擾乱が続き、しばらく国内は各地で内乱状態に陥ることになります。