短編小説「権勢の庭」 | うさみーの御朱印御首題✿歴史散歩

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全国各地、といっても関西圏が多いですが、を旅してお寺や神社で御朱印や御首題を頂いた記録です。
コロナもようやく落ち着いたのであちこち出没再開しています。記事はのんびり不定期に書いております。

なかなかこの齢になると、嫌なことや興味のないことに無理やり付き合わされることは減ってくるはずだ。ところが損得という感情が入って、そんなことが偶発的に起きた。
 
興味のあった施設の入館チケットに、その近くにある有名なR庭園の入場券がセットになっていた。そこには行ったことが無かったが、東京の大名庭園はどうしても借景にビルが入って雰囲気が感じられないので特別な興味は無かった。
何よりR庭園を作ったYという人物が、主君が将軍になったばかりに側用人から大老格までのし上がって権勢を恣にして、この大庭園を作って将軍の御成りを仰いだというその来歴が気に入らなかった。大河ドラマでは疎遠な元禄時代だが、昔にそれを扱ったのを見たことがあり、確かに嫌味ったらしい地でも性格の悪そうな知性派俳優がその役を演じていて余計に嫌なイメージが付いてしまった。いや、ひょっとしたら地が似てるのではないかと思わせるほど素晴らしい演技力だったのかもしれないが、その後も最近に至るまであまりに似たような役が多いのでそれらしさも多少なりとも漂わせた役者なのだろう。
成り上がりだろうが、代々の血筋のいい人物が作ろうが、庭園なら誰がお金を出しても作庭するのは職人だろうしその時代に大して変わらないかもしれないが、どうせ銘石やら何やらを諸大名や出入りの大商人が争うようにお追従で畏まって贈ってきたのではないか、と悪く想像してしまう。あれこれ口を出して監修するところで金を出す人物のセンスが否応なく滲み出てくるものだ。
 
もちろんその施設の入館チケットだけでも販売されていたが、セットだと割安になるという呼び文句になぜか魅かれてそちらを購入してしまった。買ってしまってからは後の祭りで、余計に後で回らなくてはいけないのが苦痛に感じられた。そこで行かないのもまたお金を無駄にするようで嫌だった。
東京では珍しい残雪のあった寒い日に、仕方なく立ち寄った。
 

 
嫌なことは重なるもので、R庭園の大半は工事中で池回りしか周遊できません、とのことだった。ここはだだっ広い池の回りに人工的な隆起が築かれて名所の景色に見立ててあったので、これで既に見られる箇所が半減したようなものだった。半分見られないけどそのぶん安くなる訳でもないし、という下世話な不満がよぎった。
 

 
しかしだだっ広い。元々は鷹狩りのための原っぱだったらしい。そこに水を引いて池を作り、山を築いて、万葉集や古今和歌集に現れる名勝を見立てるという。そんなこと土台無理だろうし、貧乏くさく見えるだけだろうし、傲慢な企画に思えた。「ここは名勝何々です」と言われて、アアなるほど目に浮かぶようです…とお追従する客の姿が目に浮かぶ。
いちいち見立てた名勝ごとに石柱を建てていたらしいが、そんな細かい気配りも神経質な将軍に気に入られた細やかさならではだったのだろうか。
 
昔の中国で権力をにぎった大臣が皇帝に「これは馬です」と言って鹿を献上して、大半の廷臣は押し黙っていたり馬だと合わせて言ったりしていたが、敢えて「鹿じゃないか」と訂正した正直な廷臣はその大臣によって投獄された、という故事成語を思い出す。投獄はしなかったにしても、話を合わせないと嫌われて遠ざけられたかもしれない。
 

 
大きな石灯籠。誰かの寄付だろうか。これだけだだっ広い庭園だと確かにこれくらいの大きさでないと不釣り合いだろうが、侘び寂びも何もあったものではない。お化け灯籠のように見えてしまう。
 

 

 
大きな石を二枚合わせた渡月橋。
 
和歌のうら 芦辺の田鶴の 鳴き声に 夜わたる月の 影ぞさびしき
 
という歌から採られたらしい。和歌の浦とはあの紀伊の名勝だろうか…水辺ということぐらいしか共通点が見いだせられない。何とも無理のある趣向だ。
 

 
白梅がちらほらと咲いているのを見つけて、ようやく心を現れたような気持ちになった。花はどこに咲いていても嘘をつかない。

 

 
 

 
その奥が藤代峠という人工の山になっていたが、峠を作ってしまおうという感覚が不遜に思える。この中途半端な小山を築くのにどれだけの財力と労力が費やされたのだろうか…それを言ってしまうと古墳でもピラミッドでもノイシュバンシュタイン城でも同じ論理で片付けられてしまいそうだが、やるなら中途半端でなく後世に遺って感心されるくらい突き抜けてやるべきなのだろう。
 
この小山はツツジで覆われ、富士見の名所でもあったらしい。ツツジはマンションのエントランスなんかにちょこっと咲いているよりも、これだけ広く大きな場所にバーっと咲いて揃えられていると見栄えがする。一度だけ名所とされる摂津のお寺でそれを観たことがあり、その豪勢さに嘆息した記憶がある。
 

 
意外に高く、標高35mあるそうだ。戸山公園の箱根山は44.6m。
この小山がツツジで覆われる景色は見てみたい気もする。

 

 
ここは日当たりがいいのか紅梅が勢いよく咲いていた。
 

 
池のほとりに茶屋があって営業していたが、まだ寒い季節だったので立ち寄らない。ベンチがあれば暖かい缶コーヒーでも飲みたいような季節だ。
 

 
渓流が作られ近くにさっきのとは別な滝見茶屋と名付けられた建物があったが、滝どころか川の流れもボウフラが湧きそうに淀みがちだった。昔はもっと勢いよく流れていたのだろうか。

 

 
日陰はまだ雪が多めに積もったままだった。コモを巻かれた植木と雪が重なると何とも寒々しい。

 
 
R庭園の主人は、将軍がいるうちは権勢をふるい偏諱を賜り大老格となり甲斐15万石の大名にまで出世したが、こうした話のお決まり通り将軍の死後急速に権勢を失い、隠居を願い出て晩年はこの庭園の造営にのみ注力したらしい。訪れる人も少なくなった晩年に、このだだっ広い庭園でぽつねんと何を考えて過ごしていたのだろう。
R庭園は代を重ねるごとに徐々に荒廃したが、明治維新後にある財閥の創始者が買い取り復元した。日露戦争から凱旋した大将ら将兵6000人を招待して戦勝祝賀会が催されるなど往時の賑わいが蘇った時期もあったが、昭和初期に東京市に寄贈され一般に開園されるようになった。
 
のぺーっとした印象しか残らない庭園だが、今度訪れる機会があるとしたら工事が終わり、何かの花や紅葉の旬にでも合わせて来たほうが良さそうだ。政治や社交に関係なく好き勝手にのんびり散策できることこそ民主主義の贅沢かもしれない。

※庭園散策を私小説風にアレンジしました。