鎌倉山月輪寺
■天台宗
■御本尊:阿弥陀如来
■京都市右京区嵯峨清滝月ノ輪町7
■法然上人二十五霊場第18番
愛宕神社の縁起にありましたが、役行者と泰澄が朝日峰に神廟を建てたの始まりとされ、その後光仁天皇の勅により781年に慶俊僧都と和気清麻呂らが愛宕山を中興し、唐の五台山に倣って5箇所の峰に朝日峰の白雲寺(現・愛宕神社)、大鷲峰の月輪寺、高雄山の神願寺(現・神護寺)などを愛宕五坊として開き中興しました。
当山が創建された際に地中から「人天満月輪」と銘のある銅鏡が出土し月輪寺と命名されました。
空也上人が当山で修行したり、清少納言や九条兼実(源頼朝の推挙で太政大臣や関白になったが、後に失脚)が隠棲したと伝わっています。
九条兼実は「月輪殿」と呼ばれたらしいですが、一説には東福寺の東の月輪に山荘があったからとも伝えられています(正直、偉いお公家さんがこんな山の上で生活するの無理だと思いました…)。愛宕山には清和天皇陵があり清和源氏から篤い信仰を集めたことから鎌倉山と命名されたと言われています。
法然と親鸞は流罪になる前に当山の兼実のもとを訪れ、別離の際に三人の像を残し三祖像として現在に伝わっています。
九条兼実公(天子摂関御影より)
明治の神仏分離、廃仏毀釈で愛宕権現は廃され白雲寺は愛宕神社となりましたが、月輪寺はそのまま残されました。
なお2012年7月の集中豪雨で土砂崩れが起き、権現堂などが損壊するなど大きな被害が出ました。
愛宕山の深い山中にある山岳寺院で、麓からは山道を登って90分、愛宕神社からは下って30分かかります。