西岩倉山金蔵寺

■天台宗

■御本尊:十一面千手観音像

■京都市西京区大原野石作町

■洛西観音霊場第2番

 

洛西の小塩山の中腹にあり平安時代から「西の岩倉」と呼ばれ崇敬を集めてきました。桓武天皇によって都の四方に経筒が埋められた際の経塚が岩倉と呼ばれ、江戸時代に当山の土中から大乗経を埋めた壺が見つかりました。寺の名前は今昔物語集にも登場します。


718年に元正天皇の勅により隆豊禅師が開山し、当初は法相・三論宗のお寺でした。聖武天皇が様々な経典を書写し各地の名山霊地に埋蔵した際にも当山が選ばれました。前述の通り桓武天皇から西岩倉山の山号が贈られ、後に天台宗に改め大寺院に発展しました。

応仁の乱やその後の戦乱で焼失、再建を繰り返し荒廃しましたが、江戸時代に徳川綱吉の母、桂昌院によって再建されました。桂昌院が幼い頃に当山に寄宿したとも伝わっています。

 

 

山深い場所にあり最寄りの南春日町バス停から徒歩1時間ほどかかります。往復はつらいので行きの登りはタクシーで、帰りの下りはバス停まで歩くことにしました。

朱塗りの大きな仁王門。下に賽銭箱が置かれていて志納してから入ります。

 

 
その近くにあった案内。小塩山とはこんな位置関係にあるようです。しかしパラボラアンテナって凄いところに建てちゃいますね。
小塩山は標高642mで山頂に淳和天皇陵があります。淳和天皇は亡くなる際に小塩山の山頂に散骨を希望されたため、山頂に大原野西嶺上陵という長円丘が築かれました。倹約して民衆に負担をかけたくないという思いや、魂が天に還ってからご遺体に鬼が宿って禍をもたらしたりすることのないようにという思いもあったようです。その時代時代の考え方があるから難しいですね。
 

 
このあたりは東海自然歩道にも近くハイキングコースにもなっていますが、南春日町のバス停にはこんな注意書きも貼られていましたから十分にご注意下さい。
 
 
先ほどの仁王門をくぐり石段を登ります。
 

 
護摩堂。五大明王像が祀られています。
 

 
参道脇の池。
 

 
鐘楼。
 

 
このあたりに桂昌院お手植えと伝わるしだれ桜があるらしいのですが…まだツボミの段階のようです。
 

 
手水舎。
 

 
中に色とりどりの玉が入っていました。
 

 
石段はさらに上に続きます。
 

 
本堂。御本尊には開山の隆豊禅師と向日明神が合作したとされるクスノキから彫り出された十一面千手観音像が祀られています(秘仏)。
 

 
正面からお参りしました。

 
本堂からお庭を眺めたところ。
 

 
本堂の脇。
 

 
本堂遠景。
 

 
まだ画像があるので②に続きます照れ