「式内社の研究」の分巻を読んでいて、関東地方の式内社に目が行くようになって千葉県船橋市の当社にお参りしました。ただ式内社の参拝を制覇しようとは考えないようにしました…東京の離島に沢山あって大変なことになりそうなので。
 

意富比神社(船橋大神宮)

おおひじんじゃ

▶御祭神:天照皇大御神

▶千葉県船橋市宮本5-2-1

 

日本武尊が東征の折に当地で戦勝祈願をしたのが始まりとされます。意富比(おおひ)は地方の太陽神である大日神から由来し、元々同社に祀られていて漁民からの信仰を集めていました。

後にこの一帯が伊勢神宮に寄進されて夏見御厨となり天照大神を祀る神明社が別に建てられましたが、意富比神社に合祀され主祭神となりました。宮司は代々千葉氏系の豪族だった富氏が務めていて、現在も千葉姓に改名して継続されています。


朝廷や歴代の武家の尊崇を集め、下総でたびたび鷹狩をした徳川家康は当社近くに宿舎として船橋御殿を造営しその跡地は船橋東照宮となっています。戊辰戦争の船橋の戦いで旧幕府軍が境内に陣取ったため砲撃され社殿が焼失しましたが再建されました。

 

 

京成本線の大神宮下駅から徒歩3分の場所にあります。JR船橋駅からは徒歩15分と離れています。

街道の交差点に面して参道の入り口が開いています。昨年の11月にお参りしたので秋の景色になっていてイチョウが黄色く色づいています。

 

 
 
土俵があり、秋の例大祭では奉納相撲が開かれています。徳川家康公が地元の子供が相撲を取っていたのを見ていて神社に奉納したのが起源とされ、江戸時代は幕府が勧進元になっていました。
 
 
コロナ禍でしたがそこそこ人がいました。このあたりでは大きな神社のようです。
 
 
古そうな狛犬。確かに体重かけられたら崩れてしまいそうです。
 
 
参道沿いの藤棚。
 
 
屋根の大きな手水舎。
 
 
人が引いたところを見計らって拝殿を撮影。
 
 
こちらからお参りします。
 
 
横から本殿を遥拝。
 
 
拝殿横の神輿庫。
 
 
拝殿右手にある常磐神社。当社にゆかりの深い日本武尊、徳川家康公、徳川秀忠公が祀られています。
江戸時代は本社の意富比神社と並び称される各地の東照宮とも同格と見なされ、徳川吉宗も「伊勢や日光に参拝できない者は船橋に参宮すれば同じである」と言ったそうです。戊辰戦争で焼失して再建された時に社殿は縮小されてしまいました。
平成27年の徳川家康公400年祭を記念して漆塗りの往時をしのばせる立派な社殿に建て替えられました。
 
 
 
拝殿の東にある灯明台。木造瓦葺きの3階建てで、3階の灯室が洋風の灯台になっています。明治13年に地元の漁業者によって建てられ、普段は非公開ですが正月3が日だけ公開されています。
 
 
和洋折衷のユニークな建物です。明治の文明開化の雰囲気がしのばれます。
 
 
季節外れですが、お参りした頃にイチョウが鮮やかに色づいていました。
 
 
社務所で書き置きの御朱印を頂きました。