最近は太平記にどっぷりハマっているので紛らわしいですが、こちらは戦国時代の後北条氏の話です。
著者のひとりの伊東潤さんは後北条氏についての専門書や小説を何冊か書かれていて、今まで単独でスポットライトの当たりにくかった戦国時代の関東地方のつぶさな動向を世に紹介されています。
そもそも北条早雲こと伊勢盛時(宗瑞)は備中伊勢氏の出身で、室町幕府の申次衆も務めていました。
1476年、駿河守護の今川義忠の後継者争いが起き、義忠の正室・北川殿が盛時の姉か妹だったため、盛時は備中を引き払い駿河に下向して争いに介入し、義忠の嫡男・竜王丸(後の今川氏親)の擁立に成功して興国寺城を拝領します。後に将軍の命を受け堀越公方を討ち伊豆から相模へと領土を拡張していきます。
つまり「素浪人の下克上」を成し遂げた梟雄といったイメージとはかけ離れた実像が分かります。
その3代目、氏康は川越合戦で扇谷上杉・山内上杉らを破り、甲相駿三国同盟を結び、上杉謙信の関東出兵をやり過ごすなど激しい軍事的駆け引きをしながら領土の拡張を図ります。
一方で訴訟に民主的制度を設け、早雲以来の四公六民を守るなど、国衆や領民とのつながりを重視して内政を充実させようとする、この時代では特異的な民主的統治姿勢が確立された時期でもありました。
そのあたりが本書で詳しく解説されています。
この頃は鎌倉公方から古河公方、小弓公方、堀越公方など継承を主張する存在が林立し末期的な様相を呈します。
また安房・上総を拠点とする里見氏は何度か北条氏と戦いますが最後まで屈せず、突然海を渡って鎌倉を攻めてきたり厄介な存在感を示しています。関東地方の戦国時代は掘り下げると色々と面白そうです