西国3番 粉河寺①絵巻ゆかりのお堂 | うさみーの御朱印御首題✿歴史散歩

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全国各地、といっても関西圏が多いですが、を旅してお寺や神社で御朱印や御首題を頂いた記録です。
コロナもようやく落ち着いたのであちこち出没再開しています。記事はのんびり不定期に書いております。

風猛山粉河寺
こかわでら
■粉河観音宗(天台宗系)、総本山
■御本尊:千手千眼観世音菩薩
■和歌山県紀の川市粉河2787
■札所:西国三十三ヵ所第3番
 
寺伝によると770年、猟師であった大伴孔子古が庵を結んで千手観音を祀ったのが起源とされています。
 
平安時代以降、観音霊場として朝廷や貴族の保護を受けて栄えましたが、1585年の豊臣秀吉の紀州攻めで全焼するなどして、現在の伽藍は江戸時代に再建されたものです。国宝「粉河寺縁起絵巻」も紀州攻めの際に部分的に焼損しました。
 
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JR和歌山線の粉河駅から徒歩10分ほどの場所にあります。
 
境内の入口に建つ暗赤色の大門(国重文)は1707年に再建された入母屋造・本瓦葺きの二階建ての楼門です。両脇には仏師春日(しゅんじつ)作と伝わる大きな金剛力士像が置かれています。
 
 
しばらく進むと童男堂が現われます。千手観音の化身とされる童男大士(童男行者)を祀るために江戸時代に建てられた廟形式のお堂です。童男大士像は秘仏で、年一回の童男会で開帳されます。
 
 
その横に童男大士が柳の枝を持って白馬に乗り現われたとされる出現池があります。この池は塀に覆われているので隙間から撮影しました。正面のお堂に祀られているのが童男大士です。
 
 
このあたりのお話は粉河寺縁起絵巻に詳しく描かれています。下の場面は猟師に造仏の約束をする童男大士(右)です。
 
 
聖徳太子を祀った太子堂です。
 
 
参道脇の水路ですが、白壁と木々の新緑に囲まれた静かなせせらぎになっています。
 
 
中門(国重文)は江戸時代に建てられた入母屋造・本瓦葺きの楼門で、左右の間に四天王像が置かれています。正面の「風猛山」の扁額は紀州藩十代藩主・徳川治宝(はるとみ)の筆です。
 
 
門の裏側から撮ったところですカメラ。四天王像も見えます。
 
 
蓮の花をかたどった鋳物製の盥漱盤と呼ばれる水盤を置いた手水舎です。1775年に粉河鋳物の名工の手により作られました。
 
 
中門の裏の喫煙所。石の椅子も含めて、贅沢な雰囲気です。
 
 
丈六堂には一丈六尺あるとされる阿弥陀如来像が祀られています。
 
 
その前の木木
 
 
ようやく本堂が見えてきました。その本堂の手前の階段の両脇の段差に粉河寺庭園(国名勝)があります。桃山時代の枯山水鑑賞式蓬莱庭園です。
 
 
段差に作られているので岩山がより立体的に迫ってきます。
 
 
庭石にはこのあたり特有の緑泥片岩が用いられています。
 
 
 
その名勝庭園の裏の喫煙所。非常に豪華な場所にあります。
 
 
に続きます。