浄土真宗のお寺は基本的に御朱印が無いようですが、それで京都のど真ん中の歴史ある大寺院をお参りしないというのも勿体ないので、修学旅行以来でしたがお参りしてきました祈る人
 
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東本願寺
真宗本廟
■浄土真宗、真宗大谷派、本山
■御本尊:阿弥陀如来
■京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754番地
■別称:お東さん
 
1570年に始まった織田信長と石山本願寺の「石山合戦」は、末期になると本願寺教団の内部で講和を支持する穏健派と徹底抗戦の強硬派に分裂します。これが後の東西分派の遠因となります。
 
1580年、顕如は和議に応じて紀伊鷺森に退隠しますが、長男・教如は徹底抗戦を主張し籠城を続け顕如から義絶されます。後に本願寺を明け渡しますが直後に炎上し本願寺は灰燼に帰してしまいます。
 
1582年、本能寺の変の後、後陽成天皇の仲介で顕如と教如は和解して一緒に住むようになりますが、1592年に顕如が入滅して教如が本願寺を継承すると元・強硬派を重用して元・穏健派を遠ざけたため教団内に対立が生じます。
 
穏健派と顕如の室で教如の実母である如春尼は、顕如が書いた「留守職譲状」を豊臣秀吉に示して教如を退隠させ、弟の准如が継承します。
 
秀吉が没し関ヶ原の戦いが終わると、かねてから徳川家康と懇意だった教如は後陽成天皇の勅許を得て、家康から烏丸六条に寺領をもらい本拠としました。
 
 
ここから元の七条堀川の准如を宗主とする本願寺教団(現在の浄土真宗本願寺派:西本願寺)と、教如を宗主とする本願寺教団(現在の真宗大谷派:東本願寺)に分裂することになります。
 
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京都駅から徒歩10分弱、地下鉄五條駅から徒歩5分ほどの場所にあります。
 
東本願寺は火災に遭うことが多く建物は明治期の再建が多くなっています。御影堂門は烏丸通りに面した高さ28mの大きな門で、京都三大門(他は東福寺、知恩院)のひとつに数えられ、1911年に建てられました。
 

 
少し引いて烏丸通りの中央分離帯から撮ってみました。偶然トンボが入り込んでました。
 
 
御影堂門の真下から境内を覗き込んだところです。
 
 
御影堂も1895年に再建された和様道場形式の堂宇です。大きすぎて横にこう撮るしかありませんでした。親鸞聖人の坐像の御真影を祀っています。
 
 
 
手前の大きな手水舎です。
 
 
大きさの割に水流は細めでした。
 
 
御影堂の軒先から御影堂門を臨んだところです。
 
 
御影堂の横側面。
 
 
御影堂側から見た隣の阿弥陀堂。渡り廊下でつながっています。
 
 
阿弥陀堂は禅宗様の仏堂で、1895年に再建されました。御本尊の阿弥陀如来が祀られています。
 
 
とにかくスケールの大きなお寺でした照れ
 
この後は近くの渉成園に向かいました歩く