北畠神社と北畠氏館跡庭園 | うさみーの御朱印御首題✿歴史散歩

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全国各地、といっても関西圏が多いですが、を旅してお寺や神社で御朱印や御首題を頂いた記録です。
コロナもようやく落ち着いたのであちこち出没再開しています。記事はのんびり不定期に書いております。

名松線と伊勢本街道 ~北畠神社に向かう~ からの続きになります。

北畠神社
■御祭神:北畠顕能公
■三重県津市美杉町上多気1148
■建武中興十五社

北畠神社は多気北畠氏城館跡(国史跡)に鎮座している神社です。北畠顕能公は南北朝時代の公卿・武将で、伊勢国司として南朝軍を支えました。歌人としても「新葉和歌集」に18首入選した入道前右大臣は顕能と考えられていて、特に「いかにして伊勢の浜荻吹く風の治まりにきと四方に知らせむ」の歌は広く知られ境内に歌碑があります。有名な北畠親房は父、顕家は兄にあたります。

北畠顕能は伊勢北畠氏の祖となり、1342年に当地に霧山城を築きました。北畠氏は室町時代末期まで戦国大名として当地を治めていましたが、9代・北畠具房が侵略してきた織田信長と激しく戦い、結局信長の子・信雄を北畠具房の養子にするという条件で和睦しました。しかし1576年に信雄により北畠一族は滅ぼされました。

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伊勢奥津の駅からレンタサイクルで30分ほどかけて、ようやく到着しました。なぜこんな辺境の地に拠点を置いたのか疑問でしたが、後で神職さんと話していたら「吉野に通じる交通の要衝だった」そうで納得しました。



神社は北畠氏滅亡後の1643年に、当初は八幡宮として創建されました。拝殿の正面には目のギョロッとした天狗のお面が掲げられていました。



拝殿正面の脇に建武中興十五社の一覧がありました。残すところ金崎宮(敦賀市)、藤島神社(福井市)の北陸二社と、最後にお参りしようと思っている吉野神宮です。





境内にあった「花将軍」と謳われた北畠顕家公の像です。昔、大河ドラマでなぜか後藤久美子が演じていたのを覚えています。



神社の横には北畠氏館跡庭園(国名勝・史跡)があります(別途拝観料要)。1530年に7代・北畠晴具の義父にあたる管領・細川高国が当地に滞在した折に作庭したと考えられています。

大きな池を囲んだ池泉回遊式庭園となっていて、築山には武将であった高国らしく豪放磊落で風格ある石組みが敷かれています。



杉の木は北畠氏滅亡後に廃墟となった場所に後から植えられたと考えられていますが、影を落として悲劇的な末路ともあいまって幽玄な趣を醸し出しています。



細やかな青もみじの透けた光のコントラストが映えます。醍醐寺の奥の庭園と雰囲気が似ています。







苔がきれいに生え敷かれています。





社務所で御朱印を頂きました。建武中興十五社を集めていると分かると非常に感心されて歓迎されるのは、十五社どこでも見られる現象です。お参りのし甲斐があるというものです。


#北畠神社御朱印

数年越しの念願だったお参りを済ませてホッとしました。何とか今年中に結願したいものです(-人-)