龍雲寺を辞去して県道67号線に戻り、さらに西に進むと日蓮宗の本山(由緒寺院)の貞松山(みまつさん)蓮永寺があります。始めは別な場所にありましたが、1615年にお万の方の発願で駿府城の鎮護とすべく移転・再興されました。


お万の方は上総国の武将・正木頼忠の娘で、徳川家康の側室となって頼宣(紀州家)、頼房(水戸家)の二人を産みました。また熱心な法華経の信者で身延山久遠寺の日遠上人に深く帰依し、1616年に家康が没すると剃髪して養珠院と号し、蓮永寺に入りました。晩年は頼宣の下で平穏に暮らしました。

お万の方は日蓮宗に縁が深く、身延七面山に身を清めて登って女人禁制を解いたことでも知られます。










門を入って左手に立派な鐘楼がありました。




浄行菩薩でしょうか。日蓮宗のお寺の境内によくお祀りされていますね。




境内にあった立派な木です。




十二間四面の唐破風造りの、堂々とした本堂です。






庫裡で御首題を頂きました。本山だけに手慣れた流暢な筆致です。



#蓮永寺御首題


これで「沓谷(静岡市) 御朱印御首題めぐり」のシリーズは終わります。御高覧有難うございました照れ