上野公園は元々江戸時代は寛永寺の広大な境内でしたが、幕末の上野戦争の彰義隊と新政府軍の激戦でほとんどが灰燼に帰します。現在の中央噴水あたりにあった根本中堂も焼け落ちます。しかし今でも再興されたり焼失を免れた寺社が多く残っています。
上野公園にある寺社を全て回ると御朱印が10個頂けるそうですが、今回はその一部をお参りしました。
まずは不忍池の弁天堂へ。天海大僧正が琵琶湖の竹生島を模して島を築いて弁天堂を開きました。お堂は戦災で焼けて昭和の再建です。お堂の中の寺務所で御朱印を頂けます。右手には大黒堂もあります。
次に江戸三十三観音の札所でもある清水観音堂へ。こちらは別項で紹介しています。
北に進んで上野東照宮へ。こちらは初めて参拝しました。藤堂高虎と天海大僧正が徳川家康を祀るために創建しました。家康公のほか徳川吉宗、慶喜の両将軍も祀られています。こちらは上野戦争や東京大空襲から奇跡的に被害を免れて今日まで残っています。
正面の扉が黄金色に輝いていたのが鮮烈でした。この門に向かって左手に社務所があり、オリジナルの御朱印帳も販売されていました。有料で中も拝観できるようです。
上野公園を大きく横切り、東京国立博物館の右手に進むと開山堂両大師に着きます。こちらは寛永寺の開山である天海大僧正(慈眼大師)と、良源大僧正(慈恵大師)をお祀りしているので両大師との名がついています。お堂は昭和の再建です。
寛永寺の方向に西に移動する途中に、東京国立博物館の敷地に池田家上屋敷表門(黒門)が移築・保存されています。元々丸の内の大名小路にあり、鳥取藩(因幡・伯耆32万石)池田家の江戸上屋敷の正門でした。格式ある門で重要文化財に指定されています。
寛永寺の根本中堂に着きました。こう言っては何ですが意外にこじんまりとしています。
本来の根本中堂は上野戦争で焼け落ち、明治に入って川越喜多院の本堂を移築して再建されました。
お堂の中の受付で御朱印を頂けます。葵の御紋の入ったオリジナル御朱印帳を買いました。