アメリカによる
長崎への原爆投下から
75年となる今年

1945年8月9日11時2分

現在の平和公園上空わずか
500mで原爆が爆発して

投下後
被爆地に入った人たちや
被爆者の救護にあたられた方々も被爆
その年の暮れまでに
70,000人以上が犠牲になった
とされています

毎年の平和式典では
その年の一年間に亡くなられた方の
お名前を
原爆死没者名簿に加え奉安されますが

その総数は
185,982人
被爆50年の1995年から数えても
約80,000人増えています

放射線被曝は
細胞周期の短い細胞に
大きな影響を与える確率が高いため
白血病などを引き起こすことは
知られていますが
被曝後数十年経っても発癌率が高まる
という研究結果も
証明されているのだそうです

火傷などの直接的な外傷とは別に
脱毛、皮下出血、鼻血、嘔吐など
晩発性の放射線障害=原爆症が発生


2001年に他界した恩師
平山一夫先生は
10歳の時に長崎で被爆し
被爆者健康手帳を交付されていました

進学のため上京した恩師は
朝起きると枕が
鼻血や歯茎からの出血で
べっとり汚れていることが頻繁にあった話や

当時、原爆症は空気感染する
といった誤解が一部にあり
そのため
長崎出身だと言うと
蜘蛛の子を散らすように
周りから人が居なくなったこと

原爆症の遺伝を恐れた恋人に
子どもは産めないと言われ
生涯独身を貫く決意をしたことなど
話して聞かせてくださいました

大学時代
長崎出身とバレないように
言動やファッション等にも
気をつけていたけれど

「長崎の方言でバレちゃうんだよねぇ」

そう、笑って話していましたっけ


疎開のため小舟に乗って
五島へ向かう途中
機銃掃射を受け
子どもたちを庇ったおじさんが
絶命したのを目の当たりにした体験など

恩師にとって
戦争・原爆・差別や偏見の愚かさ
そして命の尊さを
演劇を通して伝えることは
ライフワークだったはず

五島を舞台にした戯曲を
執筆し始めていましたが
その矢先、病に冒され
19年前
66歳で永眠してしまいました

もし今日先生がご健在だったら
核保有国間で核の軍縮に向けた約束を
反故にする昨今の情勢を
どのように思われていたでしょうか

唯一の被爆国・日本の役割とは?

ラジオで
日本でも戦争があっこと
原爆が落とされたこと
しかもそれをアメリカが投下したことを
知らない若者がいると聞いて
驚きました



今日も東京は暑くなりそうです