国家安康

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日々徒然

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日本各地で戦争反対のデモが起こっている。

学生や女性を中心に国会前を始め、各都市で安保法案への反対運動が起こっている。

プラカードには「子供達を戦争には行かせない」「平和を守ろう」などが書かれている。

言うまでもないが、私を含め一部の軍需産業資本家や軍事オタクを除いて誰もが戦争反対である。

もし100人にあなたは戦争に行きたいですかと聞けば、100人とも戦争に行きたくないと答える。

今プラカードを持っている人たちは、たとえ自分の周りの人々が戦争に行っても自分は行かない、断固反対と言う。

では少し条件を付け、自分の大切な人、親や兄弟、恋人、妻、子供が、今まさに目の前で外国人に殺されそうになっている時、その人たちはまだ戦争反対と主張するのだろうか。

全国で子供を戦争に行かせないと声高に叫んでいるママ達はいざその時に戦争反対だからと子供を見殺しにするのか。

100人中99人は戦うだろう。それはつまり戦争である。戦争か平和ではない。平和を守る、愛する人を守る最終手段、止むを得ない手段が戦争である。

戦争反対と不戦宣言は全く別である。今の9条や戦後左翼の人たちが言っているのは他国に対する不戦宣言である。

大事な人を守るため、平和を守るため不戦を誓うと言うことは、大事な人を失うという矛盾を孕んでいる。

敗戦後、日本が諸国民を信用して守られた平和は奇跡的である。今までは中国も海を越えて領土拡張する余裕はなかった。

今、中国は尖閣と沖縄を必ず奪る、核心的利益である、ハワイも中国のものに出来ると言っている。不戦宣言で中国は止められない。

仮に戦わず中国人になったとする。チベット、新疆ウイグル、かつての東トルキスタンを見て欲しい。どれだけの人が自由や平和、財産、愛する人を奪われただろうか。

彼らは戦った。今でも戦っている。何十年も戦っている。それでも一度奪われた国は取り戻せないでいる。

いくら中国による非人道的な行為があっても国連を始めとする各国、言うなれば諸国民は実力行使を行わない。傍観するのみ。

それでもいいのか。

戦争を回避するにはどうするか、本当のところを考える必要がある。