父が亡くなって5日目

ドンドン哀しみと寂しが増してくる

自宅に祭壇があり 
通るたび 

“居ないんだ〜“

写真を見ると

平面になった父の感覚に

身体が亡くなった淋しさが募る…

部屋で父に話しかけてみる。

そこに居るなら
“何か鳴らしてよ!“

するとラップ音らしき音が 
3回ほど

もっともっと
解りやすく鳴らしてよ!

父の存在の確認で安心したい。



昨日の午後も
“チーン”と お輪の音が1回なって えっ?と
急いで祭壇へ向かって
話しかけた。

“おじいさん死んじゃったんだよー 嘘みたいだよ!私たち哀しんでるんだから そんな所で笑ってないでよ”



今日は お昼に
父の好きなラーメンを 
分け合って食べた。

喜んでくれたかな?

しかし
死亡後の役所や保険やら
公共料金の契約者変更やら
色々な手続きを ぼ〜としている頭で進めながら

父のフルネームを記入する事が何度も何度もあり
名前を書くのが辛い…

その度に 
本当にこの手続きが全て終っていくと同時に  
父の存在が この世界から消えていくような
なんとも 言えない淋しさを 何度も味わう…


大黒柱だった。

この家も
ここに住む事も
この安心できる居場所が
父が守っていた。
お金も、意識も、家族の安全も

大黒柱が抜けても
枝が育って 孫枝、ひ孫枝も育っているけれど

守られていたのが当たり前過ぎて気付かない大きな大黒柱が
ポッカリ空洞になったみたい…

祖父や父が育てた根っこを 
引継いていくのだろうな

大家族の長男だった父は
弟や妹の親代わりな部分も含めて
家の風習を変え
波風を全てひとりで受け止め
色んな確執を納めていった強さは 
今になって私は理解しつつある。

父の生き方は 
男らしく大家族の長男としても素敵な主

子どもに とっては
怖い父だったけど

今更ながら
叔父や叔母の話を繋ぎ合わせていくと 腑に落ちたり 新たな情報に 父の想いが読み取れる。

ありがとう!誇りに思う!