こんにちは。

先日、午後から岐阜県坂祝町の急峻な勝山(284m)の谷を挟んで向かい、城山(265)に
ある、猿啄に訪れてみました。岐阜
市内から20㌔強になります。車では下の道を
よく通りますが、初めて登ります。


織田信長が美濃侵攻の際に、丹羽長秀を
総大将にして、河尻秀隆が主に攻略した、
猿ばみ城。その功により、河尻秀隆は城主となり
ました。河尻秀隆は最終的に甲斐国22万石の大名と
なったのですが…


僅か750mの行程ですが、最初からジグザ
グの急な登り坂。風が吹き込まない様な
地形の道を登る為、意外と蒸し暑い。


600m位上がると、木曽川と美濃加茂市街
が見えてきます。


城山の頂上に到着です。


広くない山頂に城跡の碑と、


2階建ての展望台がありますので、


2階に上がって見ました。


、、、


おー\(^^)/


絶景かな、絶景かな!
南側の眼下に木曽川と正面には、鳩吹山が
見えます。
ここの城主となった河尻秀隆ですが、
その後順調に出世をとげ、織田が甲斐
武田を滅ぼした後は、甲斐22万石の大名
なったのですが、その2ヶ月後に本能寺
変が起き、信長と言う後ろ楯を失いまし

信州海津城の城主となった森長可などは、
直ぐに織田家の安全な勢力圏内に、撤退を
しましたが、河尻秀隆は旧敵国にとどまり
信長亡き後に甲斐の国を狙っていた、徳川
家康の謀略もあり、甲斐国で悲惨な死を
遂げた様です。
もっと上手に立ち回れたら?と思うのです
が、信長の父の代から織田家に仕えていて
忠義の心があり、真っ直ぐな人物だったの
かも知れません?若い頃よりこう言う
な、マイナーな武将に興味が湧く様になり
た。判官贔屓ですから…

猿ばみ城に来た事で、また少しお勉強に
なりました✌️

おわり、皆様良い週末を🖐️