これだけはゆずれないこと

 

 

 「姉が好きな●●を買って帰ろう」という誰かのツイを見て衝撃を受けている朝です。

 

 私にも妹はいますが、「お姉ちゃんこれ好きでしょ」なんて言ってもらえたことがあっただろうか。

 

 いやない(反語)

 

 夕べは家族に関するツイートがよく目に留まって、面白い番組を子供が「お母さん一緒に見よう!」と言ってくるけど家事を後回しにするとしんどい(意訳)というどこかの母のツイも見た。

 

 うちは逆で、私以外の家族が楽しい団らんをしている間、私だけはガラス戸を一枚はさんだキッチンでみんなの食器を洗わなければならなかった。

 テレビが見たいからとガラス戸を開けていると、洗い物の音でテレビが聞こえないといって閉められてしまっていた。

 5人分の食器を洗い、鍋を洗い、翌朝の米を研いでセットするまでが食後の私の仕事で、私の後ろからはみんながテレビの誰かの様子にげらげら笑う声が聞こえていた。

 テレビを見てからやる、というのは許されなかった。

 

 これもこの家で、「私のことはそういう風に扱っていい」というやり口のひとつだったんだ。

 だから、妹や弟は私のことを大切に扱おうなんて微塵も考えたりしない。

 

 学校でも孤立してたけど、結局家の延長なんだよね。

 家で孤立するように育てられているから、人と並んで会話する方法を私は知らなくて、どんどんみんなからズレていく。

 

 でも母は「子供達は平等に扱った」ってキレるし、私にこうして家事を負わせていることについては「お前のためだ」と言い聞かせてきた。

 そしてそれを自分でも信じて疑っていないと思う。

 

 いまさらこの人生をどう取り返したらいいのかまったくわからない。このことを分かち合う人もいないし、手が触れる距離にこれを理解する人もいない。

 私に向けられたあらゆる心無い言葉が次々と思い出されて、その時泣けなかった私が今急に泣き出したりしている。

 

 

 ここまでの道のりのなかで私が譲らないだろうことは

 「生きていることに意味などない」

 ということ。

 

 意味づけをしたいという欲求は分かる。でもそれは、人間社会でだけの話で、犬や猫や鳥や虫は「自分はこれを成すために生まれてきた」とは考えてないのでは。

 人も本当はそんなこと考えなくていいんだと思う。

 歴史の中でなんか役割を負わなければ価値がない、という社会を作ってきてしまったから、その空気に飲まれて焦ったりする。

 

 生きることにそんなに意味があるなんてことになったら、私がこんな目に遭ってもなお生きてることにも意味が必要になるじゃない。そんなものあって欲しくない。

 私が受けた扱いはひたすら理不尽で不当な搾取だったし、そんなものに意味があるなんて言わせたくない。

 

 意味探しして幸せな人はそれでいいよ。

 よかったね。

 

 

 

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