まいどおおきに、ぷでございます。

2011年3月11日なにしてた? ブログネタ:2011年3月11日なにしてた? 参加中


3.11のあたりは震災関連の特番多くてなんだか疲れたよ。

普段生活してる時はどうってことないし、思い出しても別に
動悸息切れめまいなどは起こさないんだけど、
震災について誰かが語ってると話の中身がどんなものでも
涙が出てしまうというこの頃です。
悲しいとかそういうんじゃないんだけどさ。

私の3.11は、シフト休みで自宅にいたんだ。
これが出勤だったら、職場(大型施設)に避難してきた人々の受け入れで
家族と離れ離れのまま、しばらく避難所暮らしだったと思う。

幸いおかんも家にいて、
「あれ、揺れてるね・・」

「だいぶ揺れるね・・?」

「揺れ・・揺れすぎ!!!!!」

って流れでした。(6強エリアだった)
木造築20年超の我が家、平行四辺形に右左でしたよ。

ふすまが外れ、テレビが倒れ、タンスが倒れ
食器棚から皿が雪崩落ち、冷蔵庫が倒れ・・・


弟の18禁漫画が本棚ごと部屋にぶちまけられ、
模様替えしたばかりの私の部屋も
「こんなレイアウト許さん!!!」
と星一徹がちゃぶ台返したみたいなことになってました。

ちゃんと家の中の様子を確認したのは
震災から1年以上経ってからなんだけど。

あんまり揺れるから、外に出たんだけど
普段ほとんど雪ふらないエリアなのに
この日は冗談じゃなく寒くてさー。
揺れるたびに家がつぶれそうになるから、
地震の合間に布団持ち出して車の中におかんとずっと居たんだ。
燃料1/3くらいしか残ってなかったから、
暖取るためにエンジンかけるのはためらわれた。

弟と電話がつながらなかったけど
「生きてると信じる」ってメールだけして帰ってくるのを
待つことにした。(21時過ぎに無事帰宅)

助かったのはツイッターだった。
メールなんかより確実にリアルタイムでやり取りできて、
阪神淡路の経験者からいろんなアドバイスをもらった。
ブレーカーを落としたり、トイレットペーパー持ち出したり
布団持ち出したりできたのは本当に彼らのお陰だった。


夕方坂下に海の見える場所まで行くと、ずいぶん手前に
海岸線がきてた。
うちは高台だったけど、以前は真っ先に津波に呑まれたエリアの
住宅に住んでた。
その頃「津波警報がなったらどこへ避難するか」なんて
話題になったこともなかったなぁ。



町内放送でサイレンがずっと鳴っていた。
消防団が駆り出されているようだったけど、自分の家族も
避難させたいのに動ける人いたんだろうか。


翌日の全町避難では、ルート沿いに誘導に立つ人たちがいて
家族が心配だろうになって思いながら避難所に向かったんだ。




あらゆる災害はだいたい突然やってくる。
明日行きますね、って断りにこないから、
あほらしくてもいざって時に困りたくないなら
それなりの備えをしたほうがいい。

水の備蓄したり、ドライフード準備したり
そんで毎年3月11日になったら思い出して
備蓄品のチェックしてくれればいいなと思う。
避難の段取りもこの日くらいは話し合ってもらいたい。



今私はこうやってPCつけて更新してるけど
未だに生活サイクルは固まってない。
避難先で知人もなく新たに関係構築などするわけです。

震災がしんどかったんじゃない、
その後がしんどいんですよ。

いろんな3.11があって、諍いや悲しみや絶望や虚無がある。
自分にとって3.11がどうだったかなんて
もっともっと先になってみないとわからなそうだけどさ~。

今わの際に「ひでー目にあったなぁ」って鼻で笑えたらいいんだけど。