ブログネタ:言われてうれしかったこと、腹立ったこと 参加中まさに最近、この「腹立ったこと」に属する発言を聞いた
ぷでございます。毎度おおきに。
タイミングもよく、ツイッターでは「人はなぜ被害者を責めるのか」
についてのツイートが流れてまいりました。
ある事件によって、Aさんがなにか被害を被ったとする。
すると、
「Aさんはなんか悪いことしてたからそんな目に遭ったんじゃない?」
という考えが発生して、責められる。
というようなこと。

職場の先輩スタッフSさんが、20代の女性が事件に巻き込まれ
亡くなったっていうニュースを話題にしてた。
「やっぱり殺されちゃうような生活してたんだと思う。」
と私に言った。
私はものすごく腹が立った。
私も亡くなった女性のことはしらないが、あなたも知らないだろうに。
曖昧に「はぁ」なんて返事をして「そういえば」と話題を変えたけど、
本当に酷いセリフだと思う。
私が少年漫画の主人公ならグーで殴ってた。
なにか悪い出来事が起こったとき、その原因が被害者にあるのでは、
という考え方の根底に「公正世界仮説」があるのだそう。
「被害者に悪い部分があったからそんな目に遭った。」
「善人はそんな目に遭わない。」
「善人がひどい目に遭うのは公正じゃない。」
というような考え方。
この考え方は心が安定して、良い結果のために努力をしたり
善い行いに人を導くそうですが。
公正であってほしい、というのは希望であって、
現実はそうでもない。
よく振り返れば思い当たることもたくさんあるだろうにね。
これに通じるのが、ネイバーブログ時代の「自転車泥棒の話」で、
自転車が盗まれたとき、カギをかけなかった持ち主が悪い だとか
家に泥棒が入るのは、家に貴重品を持ってる人が悪い だとか。
元々は、他人のUPした写真や描いた絵を、勝手に自分のブログに
使わないでほしい、という話から始まったことだった。
無断転載をする子たちは「取れるようにしてあるのが悪い」と
私に反論したのであった。
これは相手が小学生~中学校くらいの子たちだったんだけど、
今思えばこれが「公正世界仮説」の一端よな。
自分がもしうっかりカギをかけ忘れて自転車を盗まれたら、
犯人を責めるより先に「私が悪かった」と泣いたりすんのかな。
家に強盗が入って刃物をつきつけられたとき、
私の日頃の行いが・・・などと反省しながら息絶えるだろうか。
いや、
「私はなにも悪いことをしていないから、そんな目に遭わない」
と信じてるんだなぁ。
現実はほんと、そうでもないよ?
別に何も悪事を行ってなくたって、怪我したり事故に遭ったり
するもんさ。
なにより、世界が公正であってほしいなら、
自らもまた公正でなければいけないよ。
私たちひとりひとりが、その正しさを作り出さなきゃ
そういう世界にならないからだ。
完全に公正にするのは無理だけどさ。

それから、お題のもう片方。
言われてうれしかったこと。
新しいことを始めようとしたとき、
「ぷさんならできるよ!!」って言われたことかな。
肯定的な言葉をもらえるのは、本当にうれしい。
がっかりしたって言われないようにがんばる。