運動会シーズンらしいですね。

 近所の中学校でも体育祭やってるみたいでワーワー声がしてます。

 ぷです。

 

#もう一度出てみたい運動会の種目

 ってタグを拾いましたがその中学校の体育祭を横目に犬を散歩していて、なんなら今競争してるその列に参加したいと思っていました。

 さすがにこのご時世、いきなり混ぜてほしいと乱入するの不審者過ぎるので無理だろう。

 じゃあ「大人が本気で運動会する」とかいうイベントにならんもんかとか思うわけですよ。楽しそう。

 会社で行われる嫌でも参加しなきゃいけないやつじゃないです。やりたい人だけ集まってやるんです。

 各競争の1着選手は表彰台で自己紹介してもらいます。

 本気運動会なので酒はナシです。

 なお私は短距離走に出るつもりです。50か100。

 相当タイム落ちたと思いますが、今どれくらいで走れるのか知りたい。

 

 

 でもね、みなさんちょっと思い出していただきたい。自分はまだまだ動ける!って思っている大人が、U.S.Aをフリ付きで踊ってアキレス腱を切る、「U.S.A断裂」が流行ったことを。

 

 大人が本気で運動会したらきっと負傷者続出で付近の医療機関に多大な迷惑かけるだろうなって思います。

 運動会で帰宅した子供に「パパだって昔は騎馬戦で鉢巻取りまくったんだぞ」って自慢して「キバセンってなに?」って聞かれるとか、 「ママはクラスで一番足が速かったんだから」って回顧に「え~~見えな~い」って言われるくらいでいいのかもしれません。

 

 みえな~い とか言われたら「よーしお前ちょっと表でろ」っていうくらい大人げない大人になってますがうちに子供はいないので子供相手の本気短距離走は始まりません。大丈夫です。

 アキレス腱も無事です。

 

 

 でもやりたいな~運動会。

 

ふしぎな体験を教えて

お菓子はおいしいもんね。最近のオススメお菓子は

イトウ製菓のプレッツェルサンドっていうやつ。

パリッとした薄いプレッツェルにクリームが挟まってて

軽い口当たり。個包装なので1回のお茶タイムに2枚

ずつくらい食べたりして、楽しんでいるのだよ。

 

おかしな話、不思議な体験といったら

家族と縁を切ったら家族以外の人とつながるように

なってきたってこと。

これってでも私がそれなりに年を取ったから

若い時よりこんな場面ではこうしたほうがいい、という

経験を積んだ結果だったりするのかな?

とも思うんだけど

 

昔話したことがある私より10くらい年上の人が

相手に対して良かれと思っていろいろ手を尽くすけど

いつの間にか疎遠になってる、って言ってて

この「いろいろ手を尽くす」には私も心当たりが

あったんだ。

 

今となっては、自分の問題から目をそらすために

他人の問題に手を出していたんじゃないかって

私自身については振り返るんだけど。

 

この自分の問題っていうのが、家族のことで

私が目をそらさずに対決して切り捨てたことで、

自分だけのことを考える時間ができて

結果それまで人間関係が壊滅的だったのに

今になって休日に一緒にご飯をたべたり

気になったことを話し合ったり、買い物に出かけたり

困ったときに手を貸し合ったり

そんなつながりができてきている。

 

あ、周囲の人もそれなりに年齢を重ねているっていうのも

大きな要因ではあるよね。

みんないろんな苦労をして、だから人にやさしくできたり

必要な分だけ手を貸したりできる。

 

でもそういうの、できる人は子供のうちからやってて

そういう人たちから見たら何周遅れの人生だよw

って笑われそうだけど

家族の中に安心や信頼がなかった者としては

「家族でさえくれなかったもの」を

他人が与えてくれることに驚くばかりで

不思議だなーって思ってるってわけ。

 

完全に人間として不完全すぎて、

社会性に難ありって感じなのに

それでも私とこれからも一緒にいようとしてくれるひとたち。

 

ありがと、次会うとき

プレッツェルサンドあげるね。

 

 

おばけちゃんが欲しい不思議話ではなかったかもね。

まぁ、そういう人生の人もいるってこと。

 

 

 

 

 

 ハイライトとして挙げるような出来事がこの14時までの間にあったろうか。

 

 朝は3時に目が覚めてうだうだ過ごし、5時にまだ暗いなぁとこたつをつけ、7時に米を研いで炊飯し8時にそれを食べて犬の散歩へ出かけた今日は休日。

 

 いつもの散歩コースより少し長めに歩いて、戻ってきてから近くの植物園で菌類の展示をやっているのを思い出した。

 図鑑が欲しいけど高くて無理。

 

 図鑑ほど何度も読めていつまでも楽しい本ないよね!!

 

 私が子供の頃、自宅にはジャポニカの図鑑全20巻くらいのやつがあって、おそらく長男が生まれた時にはしゃいだ両親が勢いで買ったんだと思うけど兄がそれを開いてみているところは一度も見たことがない。

 私はその図鑑の宝石のページが好きで、それを見ながら絵をかいたりしていた。

 

 ってあたりで画像検索したら「百科事典」だったわ。図鑑ではないのか。

 

 兄だけが買ってもらった学習机にはヒカゲチョウの標本がついていてそれをまじまじと見ていたのも私だけだった。

 

 その経験から甥っ子が子供のうちに何冊か図鑑を贈ったんだけど、あんまり興味ひかなかったかな。今となっては彼がどんな大人になっているのか知る術もない。

 

 ハイライトのようなものは特にない。

 毎日は通り過ぎた瞬間にセピア色・・・というと詩的だな。どっちかっていうとモノクロ、風化して灰になる。

 灰になっていつかきっと讃え合いたい。(tacica/アロン)

 

 人生のハイライト。

 そんな瞬間が訪れるものか

 全部通り過ぎてみないとわからないこと。

 

 

 つれづれなるままに。

 

 

 

 

 昔勤めていた会社の営業部に、40代のKさんという女性がいた。小柄で、おしゃれに気を遣い、よく笑い、正直でとても素敵な人だ。

 その時20代だった私はいまよりもっとずっと未熟な人間だったんだけど、そんな私とも気さくにおしゃべりしてくれる。

 

 おしゃべりの内容なんて他愛ないもので、ほとんど忘れたけど、一つだけ覚えていることがある。

 

 「秋の夕暮れに仕事を終えて帰る時に

  なぜだかすごく寂しくなって涙がぶわーって出てきちゃうんだ」

 

 今くらいの頃だ。

 一人でいることを寂しいと思って泣けるなんて、私には経験のないことだ。ホームシックにすらなったことがない。

 Kさんのそのつぶやきをどう受け止めていいのかわからなくて、言いながら笑ってた彼女に合わせてあははと返した。

 

 あの時なんて答えたらよかったのかと今でも時々考えるけど、私では多分なにも答えられない。

 その後の秋をせめて、暖かい部屋におかえりと迎えられて過ごしているといいなと思う。

 

 

 私はこの寂寥感が大好きなんだ。家族の中にいてもずっとのけ者だったから、むしろ一人を感じると清々しい気持ちになる。

 帰宅して自分のためにストーブを付けて、お湯が沸いたらなにか好きなお茶を淹れる。

 安らかな秋。冷えた小さな部屋が温まる。私だけのスペースが私のために整う。

 

 静かで穏やか。鮮やかで物悲しい。

 冷たくて優しい。

 

 秋はよいものだよ。

 

 

 

秋の好きなところ

 

 

 

 

 

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寝付けない夜にしていること

 眠れないとついスマホやらタブレットやらを手に取ってしまうのは、電気をつける気がなくて本を読むって感じでもないから。

 

 23時に布団にもぐって、1時に目がさめて、3時に目が覚めて、4時に目が覚めたらあきらめて起きる。

 

 インストールしてあるパズルゲームの続きをする1時。

 youtubeで睡眠用音楽を流してみる3時。

 Twitter開いてあと1時間か2時間寝れるかな・・・・いや無理だな!と部屋の明かりをつける4時。

 

 スマホの灯りは夕方の明るさに近いため、睡眠の妨げになる、というような記事を読んだけど覚えてる通りの記事だったかは曖昧。

 逆に言えばいつでも真夜中に夕方に立ち戻れるのだ。

 

 西の空がオレンジからブルーのグラデーションになっていて、空気が鼻にひやっとする。街路樹の葉が赤くなるにつれどんどんふりおりてきて、通りを歩く人がトートバッグからネックウォーマーを取り出している。

 建物が影色を濃くして、窓からストーブのように灯りが漏れる。

 

 それを思い出す1時。

 どこかで焚火をしている。木の葉が燃える匂いがたちこめていた。

 秋だねと言い合う人。

 

 明日を望まないとしてもまた空がインディゴからライトブルーに染まる。

 朝焼けをじっと見ることになる、今夜も。

 

 

 そんな風に文章をだらだらと打ち込むのも、寝付けない夜によくすることの一つ。

 

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