テレビはボーッと見ないで、アリの目タカの目を駆使して観察して羽の生えた想像力を使って、見えてきたものを線を引いて分解して、演繹と帰納のアコーディオンで、自分では経験できないシーンから自分に当てはめて教訓にするというスタンスで見ています。


くりぃむナンタラ コンプライアンス選手権


バラエティだし、真面目に見るもんじゃないとはわかっているんだけど。


コンプライアンスに対する姿勢が透けて見えてしまう。

ルールは守るもの。

なぜルールができたかは知らない。知りたいとは思いもしない。

だってルールは誰かが作るものだから。

完膚なきまでに奴隷根性。


ルールがなぜできたのか?そのルールがないと何が困るのか?どんな迷惑がかかるのか?そんなことは考えない。


審査員が(一応理由を言う時もあるんだけど恐らくそれは届いてなくて)〇〇はダメと一刀両断。


コンプライアンスってそういうことじゃないんだよ。

道徳なんだよ。

ルールがダメって言うからやらないんじゃなくて、自分自身で共感を持って、ルールがなくてもしなくなること。


道徳だよね。


日本は宗教心が低い人が多い。

その代わりに道徳、倫理社会が学校の授業である。

人が教える倫理は、人は全知全能ではないからバレなきゃOKと思う人が出てくる。

神様は全知全能だからバレる。

神様の絶対は絶対であり、人間の絶対はバレなきゃOK。


この温度差も相まって、確認作業がなおざりになる。


突き詰めていくとこういう帰結にたどり着いた。