3連投のその3
そして一昨日の中1社会(地理)の授業
ワールドカップのようなイベントは「ユーリカ!」と「ねぇねぇお母さん知ってる?!」の宝庫である
中1の社会はちょうど地理でアフリカのコマだった
しめしめ
男子はワールドカップのモロッコの試合を覚えている
テキストには
北アフリカ(サハラ砂漠以北)はアラブ人、アラビア語、イスラム教
中南アフリカ(サハラ砂漠以南)はネグロイド、英語・フランス語、キリスト教
と書いてあった
ワールドカップでアフリカの代表はどこだったか覚えてるかぁ?
モロッコでしょう、それからセネガルとコスタリカ
コスタリカは中米ねwアフリカじゃないよ
アフリカはあとはチュニジアとカメルーンとガーナね
あぁそうだそうだ
どんな選手だった?なにじんだった?
こくじーん
どの国もおんなじだったかぁ?
モロッコとチュニジア
セネガルとカメルーンとガーナ
それぞれどこにあるか地図で確認してみ
あった!
サハラ砂漠より北にあるのはモロッコとチュニジアね
セネガル、カメルーン、ガーナはサブ・サハラ(サハラ砂漠の南)ね
代表の写真見てみ と言って各代表の集合写真をiPadで見せる
あれ?ちょっと違う!
ほら、テキストに書いてあるでしょ
こっちがアラブ人
こっちが黒人(ネグロイド)
北アフリカと中南アフリカ
へぇへぇへぇ!
モロッコの選手って試合に勝ったあとみんなで跪いてお祈りしてたでしょ
ほら、これ(と写真を見せる)
なんだこいつら?って思ったでしょw
あれがイスラム教のお祈りの仕方でサジダっつーの(まぁサジダまではテストには出ないから覚えなくてもいいけど)
前に授業でやったよね
イスラム教って戒律が厳しいし、毎日5回お祈りするんだったよね
だからイスラム教徒にとってサジダはとっても身近なことなわけ(神様への感謝は当たり前のことなわけ)
日本は森保監督がピッチに向かって深々とおじぎをしたのが話題になったよね(日本では感謝は周りの人にするんだよね
外国の人が、日本人は礼儀正しいって思うのはこれが誤解されてるの(とボクは解釈している)
日本人にとって、単なる他人への感謝ではなくて、それは神への感謝の投影なんだけど、一神教の人には大げさで礼儀正しいと誤解される ← この部分はすぐには理解できないから繰り返し根気よく教えようと思ってる)
サジダしたときのモロッコの選手たちの気持ちとおじぎしたときの森保監督の気持ち
多分似たような意味があるんだと思うよ
へぇ
なんで北アフリカはアラブ人が多いんだろうね?
黒人は少ないんだろうね?
前に勢力図は、「ここまで広がった」じゃなくて「ここまで『しか』広がれなかった」って目で見るって教えたよね
人の欲は際限ないから、行けるならもっと行きたいのに、そこまででやめたのには理由があるって教えたよね(5whys)
サハラ砂漠だ!
そう! 砂漠を進むの怖いもんね
じゃぁ北アフリカのアラブ人はどっから来たの?
アラブ人っつーくらいだからアラビアなんだよ アラビア半島
アラビア半島からだったら行き易いでしょ?
オリエント文明のときに話したよね、何教?
イスラム教
じゃぁ中南アフリカ人は?
サハラ砂漠より南で生まれたから砂漠を越えなかった!
そう! そしてなぜ英語・フランス語、キリスト教かっていうと、これは2年生になってから習うことだけど植民地っていってヨーロッパの国がアフリカを領土にしたからなんだよ
へぇへぇへぇ
(ここまで、実際はもっと質問を投げかけていて、ボクは正解をほとんど言ってない 子供たちに正解を見つけさせている =できた!の蓄積)
ね?ぼんやりテレビを見ていると気づかないけど
気を付けて見ていれば授業で習ったことが確認できるんだぞぉ
(それ知ってる!って気持ちいいんでしょ?)
子供たちは文字で記憶をしようとするのだけれど、それを画像処理できていないからピンと来てないんじゃないかと思うんですね
認知の壁は越えてても自分事の壁を越えていないんだと思うんです
自分事の壁を越えないということは
① ahjdkljdsaoiewqoklfgairpfdjkh なんです
② abcdefghijklmnopqrstuvwxyz にしてあげるだけで記憶に残る強さは変わるんじゃないかと思います
アラブ人って単語を知っててもアラブ人がどんな人で黒人がどんな人か、区別なんかできないんです
だって文字だけの知識だから
イスラム教がお祈りするって言ったって仏教のお祈りをイメージしちゃうし
1日5回が生活にどう影響するかまでなんて想像しない(できない)んじゃないですかね?
今日、帰ったらお母さんに言ってみ びっくりするよ
教科書に書いてある文字をいいから覚えろ は認知の壁
それをビジュアル化して身近にして、なぜそうなのかまでを自分で考える習慣をつけるといいんじゃないかと思うわけですよ
これらボクのやっていることは経営学の理論を教育に適用させている「演繹と帰納のアコーディオン」です
教育内容については自分も通った道ですからそこそこ知ってますけど
教育の手法という意味ではズブの素人で、経営学を当てはめるとこうなったという方法で教えてます
従って、自分はこう教わった(で、つまんないから授業を上の空で聞いていた) と こう教わったらもっと勉強したいと思っただろうな の比較をしています
いつもこんな脱線する時間があるわけではないので、文字で習ったことに疑問を持ち
自分で家で調べるようにする
お母さんは答を教えるのではなくて、なんでなんだろうね?って一緒になって不思議に思って
調べてみて、わかったらお母さんに教えて
↑これが勉強を教えるってことだと思うわけです
なぜなに期に子供の想像力に羽を生やすために、なぜなににつきあってあげるべきだと思います
答を教えなくてもいいんです なんでだと思う?でいいんです
あなたがそう思うならそうなんじゃない? でいいと思うんですよね
答は自分で出せばいいと思うんです(自然科学は別として)
実績作り中です