お恐れながら、こういうこと言うのは如何なものかと

 

忙しくて手が回らなくて苦し紛れに言っちゃう

 

もしくは、難しい問題で、自分にはわからないから先生に聞けと言う

 

これは二重によくない

 

ここで使うビジネスの考え方は

 

優先順位

目線

役割分担

 

忙しいことを子供が理解しているか?

 

それにしても目先の仕事と子供の将来とどっちが重要で、今まさにそれがやることなのか?

「ちょっと待ってて」の一言が言えないのか?

 

それが誰の専決権限なのか子供は理解しているか?

 

という点で子供に悪い例を刷り込んでいると思うわけです

 

後者に至っては、わからないことからは逃げていい 誰かヒトに聞いてアタシはわからないから関係ないと厄介払いしてませんか?

じゃぁ私はバカですとちゃんと子供に向かって宣言しなきゃw

 

ほらね?線引く必要があったでしょ?

数学についてはバカでわかんないけど、他のことはできる

何もかもバカじゃない

 

それとこれとは別

 

急に線を引いても通じないですよ?

だから線を引く癖をつけておく必要があるんです

 

だからできないこととできることを区別して、できないならできないと潔く正直に宣言すべきです at par

そうでないと信頼関係は築けません

 

 

ではウチではどうしていたか?

 

まぁまずもってボクは家のことは何もできないのですが

それは高らかに宣言しています

 

それでも、そんなの知るかよ?的質問はきます

その場合は、まず自分の立場を表明して、自分の投票をします

その上で、ただしこの件については専決権限者はマミーであると説明します

 

だからマミーに聞けと

 

これやっていい?

 

何それ?

 

〇〇

 

なんでやっていいか聞いたの?ダメって言うとしたら何が原因の可能性があると思って聞いたの?

それすると何がいいことがあるの?(なぜを5回)

 

あれこれあれこれもっともらしい理由

 

なるほどなるほど

ダディはいいと思うけど(オレのポジション)、これはマミーの方が詳しい(専決権の源泉)からマミーに決めて(専決権限)もらおか

 

そして互いに意見が違った場合

 

あんたそんなこと言ったの?だめに決まってるでしょ!という喧嘩は絶対しない

自分の意見は自分の意見として表明する

それを頭ごなしに怒ったらポジション表明できなくなっちゃう。(だから子供がいないときに叱られる。)

 

そして必要であればコーカス(緊急会議)に入りなぜを5回をやる

 

自分のポジションを持つこと

情緒と論理を分離して議論することで違う意見そのものについては尊重する

なぜを5回

 

勉強でわかんないことはまぁよっぽどのことがない限りないけど、もしわからなかったらわかんないって言う