女優の奥山佳恵さん
今はタレントさん、と言った方があっているのかな?
デビュー作の「十五少女漂流記」は
無人島に閉じ込められた女の子達の物語で
私にとっても思い出深い映画でした😆
社会にも家庭にも居場所がなかった当時
人と関わらず無人島で生活することに
憧れていたんですよね。
その後も明るいタレントさんとして
ご活躍されていましたが
結婚され、お子さんが生まれ
の中で、色んな経験をされていらっしゃいます。
そんな事があったとはとても思えない様な女性なのですが
一人目ご出産後に、ひどい産後鬱になって
こんな風になってしまうのなら二人目はもう無理だ
と旦那さんが判断するまでだったとか
年が離れて生まれた次男君がダウン症だったり。
次男君がダウン症だったことは
相当葛藤があったそうです。
しかし、目の前のその可愛さに
達観されて毎日をHAPPYに送っていらっしゃる様子
私もその考えや幸せのお裾分けをblogから
度々頂いています。
次男のみらいくん、本当に可愛い男の子なんですよ😁
先日も共感した記事があったので
リブログです。
他で書いた私の感想も載せておきます。
・・・・・・・・
「障害」は社会が生み出すものだと
私は本気で思っています。
少数派が生きやすい社会は、多数派にとっても生きやすい社会になる。
ここで大切なのは「支援」じゃない。
支援、って・・・とても偉そう。
世田谷の夢パークの西野さんの著書に「支援臭」という言葉が書かれていた。
生き辛さを感じている子は、その臭いを敏感に感じとるよ、と。
分かる、私もその臭いがする所にはできる限り行きたくないもの。
(政策的な支援は、誰にとっても有難い。けれど例えば「居場所」に支援臭はいらない)
必要なのは
ちょっと多数派と違うものも受け入れ、共に生きるココロイキではないでしょうか。
~以下記事より抜粋~
「私の障害は、あなた方が作ったんですよ、って言ったら驚きますか?」
「ミンナが生きやすい社会は、自分が生きやすい社会です。」
「弱者が生きやすければ、強者も生きやすい。」
そしてこうも続く。
「動物や植物が生きやすければ、人間も生きやすい。」
・・・・・・・・・
と、これを書いたところ
「発達障害」当事者の方から
反論があり、難しいものだなーと
感じました。
以前から感じていたことですが
「障害」への考え方には二通りありそうで
①「障害」を「障害」としてまず認識した上で対処する
という考えを持つ人と
②そもそも「障害」ってなんだろう
という考え方ができる人。
私は後者の考え方ですが
もうこれは、脳の差なのではないかなと
私は、思っています。
脳の情報処理の違い。
どちらが正しいとか
私に言える事ではないです。
自分のあまりにも辛い経験や体験がなぜ起こるか、を
「障害」があったからと認めることで
救われるのも分かります。
確かに私もそうだったかもしれません。
「アスペルガー」「ADHD」「場面かん黙」「HSP」
そういった言葉を目にする機会がどんどん増えて
ああ、これかもな~
自分だけじゃなかったんだ
という府に落ちる感じ。
そこに「自分が駄目な訳ではなかったんだ」
「生まれつきの脳の特性なんだ」と救われるのも
理解できます。
私の世代が子どもの頃は
そんな情報も知識も広まっていなかったので
「おかしい子」に救いなどどこにもなかったですもんね😅
その点は良い時代になってきたのかな。
私もそんな仕事がしたかったな
と今ふと思いました。
マイノリティでも楽しく自分らしく生きられる世界を
私も広めたい。
こんなブログも、小さな発信ですが
誰かの目に留まるかな。