覚え書き

「発達障害」において
「診断名」というのは御守りの様なものなのかもしれない。


それを提示することで
理解しようとする「定型発達」の人にも
分かりやすく納得してもらうための説明書の題名。



どんな人にも
マイナスとなりうる周りがちょっと困る特性は
「病名」化することで
周囲に諦めというか理解してもらう力になると思う。

例えば気が短い人は「短気症候」
おしゃべりが好きな人は「話続延々症候群」とか
スポーツ命の人は「運動依存症候群」とか爆笑

付けようと思えば
いくらでもどの人にでもつけられるんだよね。

結局、本人がその特性によってすごく困って悩んでいれば
「障害」ともなるのだと思う。

しかし現実は
「本人の周りの人が適応できずに困る」ことによって
本人も苦しむ場合が多いのではないかと私は思っている。

もしも、そのままの「彼」「彼女」を受け入れる社会や環境があれば
それは「障害化」しないのではないだろうか。


私が大好きなコミックス「プロチチ」では
アスペルガー特性の男性が主人公なのですが
第一話で「僕はこれだったのだ!」と気づいて以降は
「障害」の話として出てきません。

その後の話は全て
真面目で、こだわりが強い「そういうところのある人」として
奥さんや職場の人達に普通に受け入れられて進んでいく。
実の母親や、一部の「普通の人々」には
変に思われたり、異常だと思われたりして悩むも
奥さんが「奇人変人お手のもの」という価値観の敏腕編集者で
その存在も大きく救われている。
(息子君の存在もしかり)
受け入れてくれる周囲の力。


「障害名」を必要としているのは
理解が難しい「その周囲の人」なんですよね。
そうしなければ理解しがたいから。
そういう柔軟に適応し、マニュアルがなければ考えられない人間が
「定型発達」という「障害」を持つ人達。
残念なことに、今のこの社会の多数がそういう人達の様です。
あなたは大丈夫照れ



私も今まで
定型発達の人間とは分かり合えない事が多く
悩んできた。

しかし
「定型発達の人」に対して「非定型発達」の私も相手を
自分とは違う分かりあえない異種として
諦めている気がする。

少しはそういう人達の特性として
認めてあげないといけないのかもね。