「評価」され「比べ」られ「○❌」をつけられる学校社会。

テストや競技の成績がそのままABCとなるなら
理解もできるけれど
小学校だと実際は教師、担任との相性でも決まる。
中学校になれば授業態度と共に
テストや試験結果が重視されるのだけれど

小学校はとにかく
「平均」
「普通」
のラインに「みんな同じに」という事に
重きを置きすぎなんだよなぁ。



名古屋市ではつい先日
河村たかし市長が
オランダのイエナプランなどを参考にして
戦後の日本の学校教育を変えて行かにゃいかん!という
教育改革宣言をした。

今の標準は
「一方的な教え」や
暗記、興味よりも先に繰り返しの勉強
横一線にさせ、それにその時点で届かない者には
評価がされないような教育。

言われたことを標準的にやり続ける事が出来る
戦闘員、労働員を生み出すことが
戦後の日本では重視されたんだもの。
個性を伸ばす必要なんて、当時は考えられていなかった。


でも、これからは違うよね
いい加減変える時期に来ているよ、と
気づき始めている人も出てきているのだ。




私は息子は生まれてからは特に
色んな場や人の中にも連れていっていた。
様々な価値観や生き方の中で
会う人たちに可愛がってもらって
息子はとても人好きで、感性の豊かな「いいヤツ」に育った。




最近、彼の学校での話を聞くたびに
感じている事がある。


それは
「評価」され、「選ばれ」「誉められ」「認められる」ことについて。


夏休み明けと正月明けは
いつも憂鬱になる。

たくさんの他の子が
「夏休みの宿題」で賞を取り、名前が上がり
賞状を貰い褒め称えられ

「正月明けの書き初め」では
選ばれた子達に金や銀の紙がつけられ
誇らしげに並ぶ。


選ばれる子は
いつも同じ子ばかりだ。



書き初めの金や銀なんて
私は要らないと思う。

みんな、一生懸命に書いた。



その中で、そういう選出をする必要は
果たしてあるだろうか。


習字を習っている子、習ったことがある子は
有利だし

「お手本通り」に写し書く事が苦手な子は
どんなにどんなに努力しても選ばれないのだ。

頑張っても、決して報われない絶望感。



「走る」ことについても
とても頑張っても、1位にはなれない。
1位になることを目標として
それを表彰してはいけない気がする。

目標と、手段と、評価。


何だか色んな事に
それでいいのか、と思う。




息子は最近
学校の学びがつまらなそうです。

できるできない、得意苦手で
周りから評価されてしまったら
私だって嫌だ。


行きたくないよね。
毎日夕方まで丸1日、そうして過ごし
とても大変なことを頑張っていると思う。
しかも月に一度は土曜授業になって
子供達がゆっくり出来る時間は
どんどん減っている。


明日は土曜日。
ゲーセンで釣りスピリッツをやることを楽しみに
今朝も頑張って学校へ向かいました。


とても良い担任の先生に当たった事は幸いで

この1年でひらがなも片仮名も漢字も書けるようになり
集団生活内、学校社会の中で過ごして
大きく成長もしています。


でも
本気で嫌なことからは全力で逃げて良いよ。

好きなことを、やり続けるのが一番。



子供達と共に
私も過去に辛かった事を追体験するような感覚が甦り
苦しくもなります。

他人からの評価よりも
今を、自分を、楽しむこと。

それが幸せにご機嫌に生きるコツ
なのかもしれませんね。